目の前にあるクラシカルな椅子を見た「紗倉まな」から次々に“想像”が…止められない「考える癖」

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書くという行為は「息抜き」

 最初はiPhoneのデフォルトのメモアプリにバーッと打ち込んで、タイトルもつけて、良いと思ったらそれをコピー&ペーストしてnoteに貼り付けていました。写真を選ぶ作業も、ニヤニヤしながら「これがいいんじゃないか」とやれたので楽しい創作の作業ではありました。

「なぜ、書くことが楽しいんですか?」とよく聞かれるのですが、私は「考えることを止めることができない」人間で、常に何かを考えてしまう癖が強いんです。最近、瞑想のような、何も考えない「無の時間」というものを自然と取り入れる人たちがいると聞いたことがありますが、どこか羨ましい気持ちになります。脳をリセットしたり休めたりするという意味で、それはとても大切な時間なんだろうとも思いますが、私にはそれがなかなかできません。

 常に目についたものに対して、すぐに色々と想像を膨らませて考えてしまうことで疲弊してしまうので、感情を言語化して文字という形に落とし込むことによって、いわば「無の時間」に近いような状態になり、それで一度「終わり」とリセットすることができるんです。

 考える癖は、高校生の頃から特に強く出始めましたね。ずっとメモ帳などに何かを書き留めていました。AV女優という仕事をしてから、ブログやツイッターなど、自分のことを伝える場が増えました。それが、さらにこの考える癖を助長させているように感じます。

 例えば、今、目の前にあるクラシカルな椅子(講談社の室内に置かれている)を見ても、「こういうところで選考会議が行われたりするのかな」とか、「選考している人たちはどういう風に話して決めているんだろう」「どういう作品が並べられているんだろう」「やっぱりそこには“政治”が働いているのかな」など、そういったことを延々と考えてしまうんです(笑)。

 そういうこともあって、書くという行為は、「息抜き」という側面もあります。私には何かすごく大きな趣味があるわけでもありませんし、家にいても仕事の連絡は頻繁に来るし、執筆作業や動画編集などもしているので、完全に頭を切り替えられるわけではありません。もちろん、愛犬との尊い時間もありますが、彼女は大切な家族なので、息抜きとはまた少し違った形での癒やされ方といいますか……。負の感情を吸い取ってもらう存在にしてしまうのも嫌だな、と思っています。

 頭で思い描いていたストーリーや、塞ぎ込みがちな感情を文字として形にすることに、一種の気持ちよさを感じるんです。そうして書くことで自分を励ましていて、自分を支えるための「ルーティーン」の位置付けにして日々を回しています。

 締め切りは、正直言って期日が迫ってくると苦しいのですが、とはいえ締め切りがないと終えられない作品も多く、あって「ありがたい」存在だとも感じています。苦しいけれど、作品が出来上がった時の喜びを考えると、「自分に鞭を打つしかないな」と思っていつも頑張っています。言い方はあれかもしれませんが、書く行為は私にとっての「究極のオナニー」なのかもしれません。

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 第2回【離婚後、父が何度も再婚相手を連れてきて…紗倉まなが明かす「途中で挫折してしまった脆い家族」】では、自身の家族のことについて語っている。

紗倉まな
1993年、千葉県出身。2012年、AVデビュー。著書に『最低。』(後に瀬々敬久監督により映画化、東京国際映画際のコンペティション部門にノミネート)、『春、死なん』(2020年度野間文芸新人賞候補作)、『うつせみ』、他にもエッセイ多数。近著に新エッセイ集『犬と厄年』。

デイリー新潮編集部

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