SNSが動かした参議院選挙 「バカの壁」より「バカのトンネル」開通こそ警戒すべきポイントである

国内 政治

  • ブックマーク

「バカの壁」から生まれる「バカのトンネル」

 ところが、現在ではこのクッションが機能しなくなりつつある。

 SNS空間は、解剖学者・養老孟司氏の言う「バカの壁」に囲まれがちだ。自分が知りたくない情報、考えたくない問題を遮断し、共感できる言説だけが集まり先鋭化していく。SNSを使用する以上、私自身も含めこのリスクは誰しもが避けられない。卓抜した知性を有する言論人でさえも、SNS上でバカの壁に囲まれた途端、扇動的なインフルエンサーに堕してしまうという悲しい事例を目撃した経験のある方も多いだろう。

 問題なのは、この壁で囲まれた空間で情動的・扇動的になった民意を、もはや政治家は注視せざるを得なくなったという状況だ。選挙戦前、焦点とは言い難かった外国人政策が突如として浮上した件は、そのことを象徴している。言論空間という名の知的なクッションにより洗練されるどころか、SNSにより先鋭的になった民意がクッションを貫通し、政治家たちが右往左往してしまう状況は非常に危うい。

 しかし、本当のリスクは第二のクッションを貫通したときに生じる。

 貫通した民意が選挙戦を大きく左右しかねない以上、具体的な政策により民意を満足させなければ次の選挙戦が危ぶまれる。が、その民意は先鋭的であるため、政府会議や部会により洗練させれば、届いた民意とはかけ離れた政策になってしまう可能性が高い。そのため選挙戦を見据え、クッションを無視し強引に政策を形成する政党が現れるのは想像に難くないだろう(無論、外国人政策にしても、ここで洗練化されれば歓迎すべき現象になる)。

 このようにして、SNS上で生まれた情動的な民意が、熟議や検証のプロセスを経ることなく政策へと直結してしまう。「バカの壁」で囲まれがちなSNS空間を出発点としクッションを迂回するため、警鐘を鳴らすという意味も込めて、この構造をあえて「バカのトンネル」と名付けたい。

 こうした現象は、なにも政治の世界だけではない。企業、メディア、大学、自治体といった分野でも、SNSの情動的な声が、クッションであるはずの熟議や制度的検討を飛び越えて判断に影響する場面が散見される。

 たとえば、中居正広氏の不祥事を発端に、SNS上で「タレントの笑福亭鶴瓶氏も共犯では」という飛躍した憶測が広がった件だ。噂が広がった途端、イメージキャラクターを務めていた鶴瓶氏の写真を、スシローは公式ホームページ上から削除してしまったのだが、この対応が拙速だとして非難を受けた。安易に「バカのトンネル」を掘った結果だと言える。

「バカのトンネル」を掘る政党に要注意

 今後、このトンネル構造が定着すれば、民主主義の基盤である熟議やプロセスが空洞化していくだろう。問われているのは、SNSからの情動的な声に対して、どこまで自らの判断軸・価値基準を保ち、クッションの機能を維持できるかという、組織の姿勢そのものだ。

 それでは、有権者にできることは何だろうか。それは、民意がそのまま制度になることを「当然」だと思わないことだ。いや、むしろそんなケースは稀であると認識することだろう。

 民主主義には時間がかかる。多くのプロセスが必要だ。しかし、クッションがあるからこそ、民意は現実に耐える政策へと形を変えてきた。

 一方、政党に求められるのは、そのプロセスを踏む知恵と責任だ。選挙に勝ちたい一心で、「バカのトンネル」を開通させてしまうような政党にこそ、最大限の警戒が必要である。

物江潤(ものえじゅん)
1985(昭和60)年、福島県生まれ。早稲田大学理工学部社会環境工学科卒。東北電力、松下政経塾を経て、2024年10月現在は福島市で塾を経営する傍ら社会批評を中心に執筆活動に取り組む。著書に『SNS選挙という罠』『デマ・陰謀論・カルト』など。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。