「ロシアが日本で情報工作」の指摘で思い出す実在した「ロシアのスパイ」たち 日本に30年間潜伏した男と置き去りにされた日本人妻

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市井に完全に溶け込んでいた生活

 ロシア人が黒羽一郎として戸籍を定めたのが、新宿区高田馬場である。今でも該当する場所には古い洋館が残っている。所有者の話。

「昭和43年から45年まで、周旋屋を通じて高島一郎なる人物に貸していたのですが、勝手に庭に建物を建てて、パチンコ台の組み立て作業をやっていた。会社名は“羽黒精機”でした。おそらく黒羽と高島とは仲間だったのではないか」

 昭和45年から、黒羽夫妻が住居としたのが、中野区新井の8階建て新築分譲マンションである。7階にある2DKの部屋だった。その生活ぶりからは市井に完全に溶け込んでいたようである。

 親しくしていた住人の話。

「何回か遊びに行きましたが、とにかく物が少なくスッキリした部屋だなという印象でした。ダイニングにはテーブルがなく、家具は洋服ダンスが1つくらいで、あとはダブルベッドとデスクぐらい。ご主人は海外出張が多いと聞いていましたが、海外の人形とか置物もなかった」

奥さんは「お金持ちなんだろうなという印象」

 ロシア人は日本人妻と30年間生活を共にしたが、子供はいない。

「奥さんは子供好きな方でした。うちの子供なんか、よく面倒を見てもらい、買い物や散歩に通れていってもらっていました。そういう時には、必ず駄菓子を買ってくれたものでした。たまにしか見かけませんが、夫婦仲はよくて、そろって海外へ行くこともあったようですよ」(同)

 60年に、今のマンションに転居したが、ここでも不審な様子が見当たらない。夫はほとんど不在だが、夫人は、マンションの管理組合の集まりには必ず出席した。近所の住人とは挨拶をかわし、住居の隣にあるスパゲッティー店をよく利用している。店主はいう。

「奥さんには、月に10回くらいは来ていただいていました。4、5人で来ることが多く、親戚やそのお子さんと聞きました。奥さんは、白髪で眼鏡をかけて、ぽっちゃりとした方ですが、とても上品な感じでした。派手さはなく、清潔そうな身なりでしたが、身に付けているものは良いもののようで、お金持ちなんだろうなという印象でした」

 密告がなければ、偽装生活が露顕することはなかったかもしれない。ロシア人が日本から脱出した後も、夫人には海外から毎月生活費が送金されていたという。

デイリー新潮編集部

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