「ロシアが日本で情報工作」の指摘で思い出す実在した「ロシアのスパイ」たち 日本に30年間潜伏した男と置き去りにされた日本人妻

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妻は「何が何だかわからない」

 住居は、意外にも大通りに面した人通りの多い場所にある。昭和60年に分譲販売されたマンションで、オートロック式。当時、黒羽夫妻は、最上階の3LDKの部屋を約3200万円で購入している。捜査関係者によれば、「最上階を選んだのは、電波の受信状態が良いからではないか」

 黒羽を名乗るロシア人の外見は、それこそ全く日本人と変わらない。年齢は60過ぎといったところである。捜査当局では、「おそらくアジア系のロシア人。話す日本語にも外国人特有のなまりがなく、あるいは元々、日本で生まれ育った人物ではないか」と睨んでいる。

 もっともマンションの住人が黒羽を見かけることはほとんどなかったという。マンションの住人の話。

「奥さんから、旦那さんは、貿易関係の仕事をしていて海外出張が多いと聞いていました。ご主人を何回か見かけた印象では、髪はサラリーマンのように七三に分け、ちょっと白髪まじりでした。身長は170センチくらいで、がっちりした体格だったでしょうか。でも、ロシア人には全然見えませんでした。どこから見ても日本人ですよ。実は、警察が来た後に奥さんと話しましたが、ただただビックリして、何が何だかわからない、とおっしゃっていたんです」

34歳で失踪した「黒羽一郎」

 実在する黒羽一郎さんは、福島県出身で、郡山市で歯科技工士をしていたという。黒羽さんが、郡山市から人知れず姿を消したのは、昭和40年6月のことだった。そもそも黒羽さんには身寄りがなかったので失踪届も出されていない(失踪時34歳)。その後の生死は不明。

 ロシアのスパイも、スリ替わるのにうってつけの人物を見つけたものである。まんまと黒羽一郎になりすましたロシア人は、40年の暮れに東京に現れ、港区赤坂にある宝石会社にセールスマンの職を得ている。

「顧客は、日本の富裕層と、日本にある各国の在外公館の夫人たちだった。海外出張も多く、仕事を通じて人脈を広げ、軍事、政治関係の情報を集めていた」(事前通)

 昭和40年代半ばに、その宝石会社が倒産した後は、ロシア人は表向き個人の貿易商として、海外出張を繰り返していた。平成7年の最後の出国まで、出国回数は20数回、ほとんどが半年から1年におよぶ長期出張で、ヨーロッパが中心だった。

 夫人と知り合ったのは、赤坂の宝石会社だった。夫人は東京都新宿区の出身で、中学を卒業後、ウエイトレスなどを経て、ロシア人と前後して宝石会社に就職。まもなく同居生活が始まったが、スパイと正式に入籍したのは、昭和50年頃のことだった。

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