「ロシアが日本で情報工作」の指摘で思い出す実在した「ロシアのスパイ」たち 日本に30年間潜伏した男と置き去りにされた日本人妻
ソ連からロシアになっても…
7月15日、Xで「ロシアの工作」というキーワードがトレンド入りした。きっかけは、SNSを介した大規模かつ巧妙な情報工作が行われているという指摘だ。16日には情報工作に利用されたとみられるアカウントが一斉に凍結されるなど、ネット上は騒然としている。
【写真】いかにも怪しい…神田明神で「200万円」が発見された実際の現場 「KGBの秘密資金説」が囁かれた
真偽も含めて注目を集める一件だが、「ロシアによる工作」という言葉自体には聞き覚えがあるという向きも多いだろう。たとえば冷戦期、ソ連時代に起こった「レフチェンコ事件」。1982年7月、米下院の特別委員会に出席した元KGB(ソ連国家保安委員会)の対日工作員、スタニスラフ・レフチェンコ氏が、日本におけるソ連の工作活動を暴露した一件である。
その詳細は翌年4月発売の月刊誌に掲載され、日本政界やメディア業界にいるというエージェント(協力者)26人のうち9人の実名が明らかになった。KGBは彼らを通じて諜報活動を行ったほか、彼らを使って偽情報を流すこともあったという。情報工作の目的は日米関係にヒビを入れ、日本の世論を親ソに傾かせることだった。
その後も、1989年には東京・神田明神で100万円の札束が2つ見つかり、KGBの隠し資金ではないかとの説が浮上。1991年12月のソ連崩壊に伴ってロシアとなり、KGBがSVR(対外情報庁)となってからもスパイの話は途切れない。1997年には、30年間も日本人として潜伏していたロシア人スパイの存在が明らかになった。長年連れ添った日本人妻を置き去りにするまでの顛末を、「週刊新潮」のバックナンバーから見てみよう。
(「週刊新潮」1997年8月14・21日号「ロシア人スパイと日本人妻『偽装生活』三十年」を再編集しました)
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発覚したきっかけは2年前の密告電話
ロシアのSVRに所属するとみられるロシア人スパイが、旅券法違反などの容疑で国際手配された。驚くべきことに、ロシア人は、日本人にまんまとなりすまし、黒羽一郎と名乗って30年間にわたり日本でスパイ活動を行っていたのだ。
黒羽一郎が、実在する人物とは全くの別人で、ロシア人スパイであると発覚したきっかけは、2年前に警視庁にかかってきた密告電話だったという。
ただちに警視庁公安部は内偵を始めたが、直後に、問題の男は身辺に危険が迫ったのを察知したのか、平成7(1995)年2月に中国の北京へ向けて出国した。捜査当局は、再入国に備えて監視を続けたが、ついに男は戻ってこなかった。
日本には、30年間連れ添った日本人妻(62)が残された。自称・黒羽は、その妻と2人で練馬区中村北にある9階建てマンションに住んでいた。捜査員が家宅捜索を行ったのが今(1997)年の7月4日、室内からは、短波受信機や乱数表、換字表などが押収された。
日本人妻は、当局の調べに対し、終始一貫して、「私は何も知らなかった。スパイとは思わなかった」と語っているという。
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