王貞治・長嶋茂雄から落合博満、大谷翔平まで…レジェンドたちの「高校最後の夏」に何が起きたのか?

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不思議な因縁

 現役時代に3度の三冠王に輝いた落合博満は、秋田工時代、野球部を7度退部し、8度入部した異色の経歴の持ち主だった。

 1年夏に4番レフト兼投手としてチームの中心選手になりながら、「高校野球とはこんなものか」とテンションが下がり、本人は退部したつもりで練習に出なくなり、映画館通いを続けた。

 だが、チーム一の実力者の力がどうしても必要な野球部は、試合の直前になると落合を呼び戻し、めまぐるしく入退部を繰り返すことになった。

 3年春の秋田市中央大会では2試合連続本塁打を放ち、全県選抜大会出場の立役者に。最後の夏も4番サードで出場したが、1回戦で角館に延長10回の末、2対3で敗れた。

 1点を追う10回裏1死一塁、3番打者の左直が併殺プレーとなり、ネクストサークルで高校最後の夏を終えた落合だったが、その後も“オレ流”人生を歩みつづけ、25歳でプロ入り。28歳で史上最年少の三冠王に輝き、遅咲きの花を咲かせている。

 イチローと大谷翔平は2年夏、3年春に甲子園出場も、ともに2戦2敗、最後の夏は揃って県大会決勝敗退という点で共通している。

 愛工大名電のエース・4番のイチローは、1991年夏の県大会で準決勝までの7試合で25打数、18安打、17打点、3本塁打、13盗塁の打率.720という驚異的な記録を残したが、決勝の東邦戦では3打数無安打に終わり、甲子園目前で涙をのんだ。

 一方、花巻東の投打二刀流・大谷も、全国制覇が目標だった2012年夏は、岩手県大会決勝で左翼ポール際へのファウルと思われた打球が3ランと判定される不運もあり、盛岡大付に3対5で敗れた。

 高校時代の球歴がまるでシンクロニシティのように一致する二人が、ともにNPBとメジャーでスター選手になったのも、不思議な因縁に思えてくる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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