ずっと歌手をやりたかった「フツオ」 “たいして歌も上手くなく…”諦めかけた長江健次の背中を押した言葉

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関西ミュージックシーンの重鎮、KAJAから「もう一回やろうや」

 そんな長江に、関西ミュージックシーンの重鎮が声をかけてくれた。長江が中学の頃からよく聴いていたレゲエバンド「KAJA& JAMMIN'」のギターボーカル、KAJAだ。2010年代のあるとき、東京・麻布十番の韓国料理店の2階で行われたKAJAのライブを見に行ったのがきっかけだった。

「挨拶に行ったら『お前もCD作って歌、歌ったらエエねん』って言われたんですよ。『いやKAJAさん、僕は楽器できんから』って言ったら『歌えることが楽器や』って。そこまで言うんだったら面倒見てや、とレゲエのオリジナル曲を作ってもらい、CDを手売りしたんです。『ライブしようや』ともなり、大阪と東京でやったけれど、客は6人ぐらいだった(苦笑)。それでももう1回、と神戸のライブハウス『チキンジョージ』(THE LIVE HOUSE CHICKEN GEORGE)につないでくれました。僕も20歳頃にライブしたことがあって、当時は300人のキャパが即完だった。スタッフのかたも覚えていてくれたんですけれど、再演のときのライブは30人ぐらいやった(苦笑)」

人脈を生かして「長江健次CAFE」を開催

 とはいえ、こうして“復活”した音楽とのかかわりが、2012年から始まったライブ「長江健次CAFE」という形で実を結んだ。

「最初はチキンジョージで5日間の開催でした。芳野藤丸さん、中村繁之さん、長谷直美さんらがゲストに来てくれました。2年目にはスターダストレビューの根本要さんらが来てくれて7日間。4年目には10日間に拡大しました。10年目には東京も合わせて20日間のライブを手打ち(自主興行)でやったんです」

 その人脈がすごい。最初の長江健次CAFEを見た元「東南西北」のボーカル久保田洋司はたびたびゲスト出演するようになり、さらに伊藤銀次、杉真理、原田真二、野村義男、佐藤竹善、うじきつよし、井上昌己、村上PONTA秀一、仙波清彦といった面々も。つながりがつながりを呼び、長江自身、音楽へのさらなる意欲がわいた。

「だんだん欲が出てきたこともあって、2016年にはカバーアルバム「Hito no Uta」も出しました。特定のアーティストの曲だけを歌うライブも始めて、最終的に行き着いたのが、ASKAさんであり、松山千春さんの曲だったんです」

 再び音楽への情熱を燃やし始めた長江。第2回【ASKA、松山千春ら「ご本人」の前でカバー曲披露… 異色のライブを続ける長江健次のリスペクトと覚悟】では、決して大きくはないライブハウスに次々と大物ゲストが出演した「長江健次CAFE」や、「イモ欽トリオ」復活の舞台裏などについて語っている。

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