長嶋茂雄、野村克也らが本塁突入! ホームスチールをめぐる“珍事件” 巨人で“内紛”が起きたケースもあった!

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ワシは足が遅いということになっている

 この“神宮の乱”をきっかけに、オフに放出騒動が起きるなど、川上監督との関係が気まずくなった広岡は、わずか2年後の66年限りで現役引退に追い込まれている。

 ホームスチールを成功させるのは、俊足の選手とは限らない。鈍足で知られながら、シーズン2度のホームスチールを成功させたのが、南海プレーイングマネージャー時代の野村克也である。

 1972年5月18日の阪急戦、0対0の2死満塁、打者・江本孟紀のとき、三塁走者の野村監督は、今井雄太郎の2球目にトリプルスチールを仕掛け、滑り込みセーフで先制点を挙げた。

 プロ初先発の今井は、江本を打ち取ることに神経を集中させており、完全に無警戒。野村監督は「ワシは足が遅いということになっているし、マークされんから、スタートできたんやろ」とニンマリだった。

 さらに、同年9月20日の西鉄戦、6回に桜井輝秀のタイムリーで2対2の同点に追いつき、なおも2死満塁のチャンスで、三塁走者の野村監督は、次打者・松井優典の3球目にトリプルスチールの形でシーズン2度目のホームスチールを成功させた。

 その直前に、三塁から「走るぞ!」とばかりにフェイントをかけた直後とあって、西鉄バッテリーは「まさか本盗はないだろう」とまったく警戒していなかった。

「フェイントをかけたときに、これならイケると思った。どうや、ワシの足も捨てたもんやないやろ」と相手の虚をつく作戦に鼻高々の野村監督は、生涯7度のホームスチールを成功させている。本当に人は見かけによらない。

無実のボーク

 1975年には超レアなサヨナラホームスチールが2度あった。

 まず、8月17日の南海対日本ハムでは、3対3の延長12回、南海は安打の外山義明の代走として出場した阪田隆が、二盗と内野ゴロで三進後の2死三塁から、ベンチの野村克也監督の「走れ!」の指示で、藤原真の2球目にスルスルと本塁へ。慌てた藤原が暴投を犯す間にサヨナラのホームを踏んだ。

 打撃が今ひとつで、代走や守備要員での出番が多かった阪田は「いつも代走で二塁まで走って、打者のヒットを待つしかなかった。それが今日は自分の足でサヨナラ勝ちしたと思うと、うれしくて、うれしくて」と大喜びだった。

 さらに9月15日の阪神対大洋でも、1対1の延長12回、阪神が2死三塁から三塁走者・末永正昭のホームスチールで劇的なサヨナラ勝ち。

 だが、末永のスタートを見て慌てた捕手・福嶋久晃が、小谷正勝の投球を前に出て飛びついて捕球した際に打者・池辺巌と接触したことから、ボークと打撃妨害が宣告され、“サヨナラ本盗”は幻に。捕手にはボークが適用されないため、小谷に“無実のボーク”が記録される珍事となった。

 2004年のオールスターでは、日本ハム・新庄剛志が球宴史上初の単独ホームスチールを決めたことも多くのファンの記憶に残っている。尾田のホームスチールは失敗に終わったが、オールスターやシーズン後半戦で鮮やかな成功シーンが見られるかどうか、注目したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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