「助かったのは奇跡」「遭難などしていない」…40年前の乗鞍岳「老人登山隊」遭難騒ぎ 道に迷ってもなお“二手に分かれた”驚愕の理由

  • ブックマーク

野麦峠の方向に光が見えた

 翌朝、夜明けと共に出発。地図と磁石に首っぴきで、ひとまずは野麦峠へ向かっている。

 そして間もなく、この遭難劇中最大の山場である、パーティー分裂の時が来るのだ。いうまでもなく、道に迷った登山隊が、途中で二手に分かれてそれぞれ勝手に進むなどというのは許されることではない。

 まず、あくまで尾根伝いに野麦峠へ向かったグループの1人がいう。

「夜営をしていたとき、野麦峠の方向に光が見えた。それで、マイクロバスの運転手を(鈴蘭バスターミナルに)待たしていたのを思い出し、気をきかして野麦峠へ先回りして一晩中ライトをつけているんだろうと思った(注=現実には野麦峠の「お助け小屋」の水銀灯)。これ以上待たせるわけにいかんからそっちへ向かったのに、一部の人たちは、鈴蘭の方向へ行ってしまった」

 憮然とした口ぶりなのである。

どうしても野麦峠へ行きたかった

「私はどうしても野麦峠へ行きたかった。あそこには、女工哀史の『あゝ野麦峠』の碑文があるんです。それを見たくて、登山に参加したんですから」

 信じ難いことだけれど、この期におよんで、そう考えて尾根伝いの道を進んだという女性もいた。一方、別行動に走ったグループ(7名)の1人はいう。

「リーダーは、尾根伝いに行けば、必ず野麦峠へ行けるといっていましたが、すでに疲れきっていた。そして、ひょいと左の方向を見たら、遠くに民家が見えたんです。脚の弱っている人やケガをした人が、そっちへ行きたいと言い出して、どんどん尾根を下り始めた。私もそっちへついて行った。リーダーのあとに従っていたら、いつまで歩かされるか分からない……」

 結果としては、このグループは、沢へ下りてしまい、濁流に胸までつかって這(ほ)う這(ほ)うの体で乗鞍高原「銀山荘」にたどりつくのだ。野麦峠へ向かった本隊は、ご承知のようにそこの「お助け小屋」にたどりつく……。

捜索費用のうち200万円はA山草会に請求

 救助されたリーダーの第一声はこうだった。

「私は遭難したとは思っていない。誰だって道に迷うことはある。マイクロバスの運転手がよけいな心配をしたから、大騒ぎになったんじゃないのかね」

 その運転手は一行が無事と聞いたとたん、搜索本部の置かれた「篠山荘」でぶっ倒れて寝ていたが、

「おじいちゃんたちは、みんな元気でした。一昼夜、山で遭難して、あの元気。まさに老人パワーですね!」

 搜索に加わったヘリは3台。長野県側から登った救助隊が70人。岐阜県から25人。高山署の警官100名全員が非常事態に備えて待機していたという。当然、かかった費用のうち実費200万円あまりは、A山草会に請求することになるものの、地元の村の消防団長は怒っている。

「乗鞍始まって以来の救援活動でした。霧が出たら30センチ先が見えない山なんです。助かったのは奇跡としか言いようがない。死ぬのは勝手かも知らんが、まったく、いい年をして」

 ***

 前夜に宿泊した宿の女将は「リーダーは慎重に山の状況を調べていた」と語ったが――。第1回【「すべてが予定通りだったのに」…40年前の乗鞍岳「老人登山隊」遭難騒ぎ 安全第一を忘れた時に見た「雷鳥の親子」の警告】では、予定通りだった行程が徐々に崩れていく様子を伝える。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。