首位独走「阪神」を待ち受ける「死のロード」は過去の話? 「いまや“天国のロード”。灼熱の甲子園を避けられて、むしろ追い風になる可能性も」とレジェンドOB
阪神は7月17日、対中日戦を0-6と完敗。6カードぶりの負け越しとなったものの、それでも51勝34敗、勝率6割ちょうどで、2位巨人とのゲーム差は9ゲームもある。今月中のマジック点灯も取り沙汰されているが、ここで注目したいのが阪神だけが抱える真夏の難題、いわゆる“死のロード”だ。
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第107回全国高等学校野球選手権大会、つまり夏の甲子園は8月5日から22日まで開催される予定になっている。
それでは阪神の日程を見てみよう。7月26日と27日の対DeNA戦、29日から31日の対広島3連戦の合計5試合をホームの甲子園で戦うと、8月1日に神宮球場で行われる対ヤクルト戦から“死のロード”が始まる。担当記者が言う。
「阪神が創設されたのは1935年で、プロ野球では巨人に次ぐ2番目の歴史を誇ります。しかしリーグ優勝は10回、日本一は2回しかなく、その歴史に比べて優勝回数が少ないことも有名です。特に1950年代から70年代は2位や3位が非常に多く、あと一歩でリーグ優勝を逃すことが常態化していました。その理由の一つとして挙げられてきたのが“死のロード”です。7月までは首位を走っていても、8月に夏の甲子園が始まると約1カ月間、阪神はビジターゲームばかりになります。選手の負担は大きく、連敗が続いて優勝争いから脱落することが多発しました。こうして8月の長期遠征は“死のロード”と呼ばれるようになったのです」
野球解説者の江本孟紀氏は1976年から81年まで阪神の先発投手として活躍。特に入団してからの4シーズンは連続二桁勝利を達成し、まさにチームのエースだった。
それだけではなく、Aクラス常連だったチームが低迷期に陥り、球団初となった78年のリーグ最下位も選手の一人として経験した。
優勝を逃す原因は食事
江本氏は著作などで以前から「阪神が何度もリーグ優勝を逃した原因の一つに“死のロード”がある」と指摘していた。改めて当時の“死のロード”はどんな状況だったのか、話を聞いた。
「毎年8月は否応なしに長期遠征しなければなりません。阪神の選手は対応するためのノウハウを持ってはいました。とは言え、実際に“死のロード”が始まると、やはり疲労困憊しましたね。原因は暑さと食事です。昭和の時代でも8月は猛暑でした。食欲が減退し、体重と体力が落ちる選手は少なくありません。他球団の選手も同じ条件だとはいえ、ホームゲームなら自宅でリラックスして食事ができます。独身の選手でもそれなりに食べられますし、奥さんが栄養バランスを考えた献立を作ってくれる選手もいます。一方、“死のロード”は毎日外食です。1カ月の外食生活は飽きますし、好きなものを口にして食事の量を確保しようとするので、食生活が偏ってしまうのです」
ところが、である。優勝経験が少ないという歴史を持つ阪神は、2000年代に入るとリーグ優勝が増えた。具体的には2003年、05年、23年の3回、セ・リーグ1位に輝いている。
そして阪神ファンなら最近は“死のロード”という言葉があまり使われていないことをご存知だろう。
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