「メリーは“嵐は娘が育てた”とは絶対に認めなかった」 藤島ジュリー景子が初告白する母・メリー喜多川との“歪な関係” 「私と元夫に探偵がつけられたことも」
【前後編の後編/前編からの続き】
「ジャニーズ事務所」を築き上げたのは創業者の故・ジャニー喜多川氏と、姉の故・藤島メリー泰子氏だ。『ラストインタビュー―藤島ジュリー景子との47時間―』(新潮社刊)にはメリー氏の娘、藤島ジュリー景子氏(58)の貴重な肉声が収められている。そこから浮かび上がるのは、強い個性を持つ母と叔父、二人に翻弄され続けた一人の女性の素顔である。
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【写真を見る】自身の生い立ちも詳しく語られた著書『ラストインタビュー』の内容は
前編【藤島ジュリー景子が初めて明かす旧ジャニーズ事務所の「派閥」について 「共演NG」の真相は?】では、メディアで盛んに報じられた、旧ジャニーズ事務所の「派閥」の実態について詳しく聞いた。
「メリーだって『嵐』の成功がうれしくないわけではないと思うんです。でも、それ以上に娘が自分を超えてはならないという感情が彼女の中にはありました。その証拠に……と言えるかはわかりませんが、メリーは最後まで『「嵐」も「SMAP」もジャニーが育てたグループだ』と言い張っていたんです。『「嵐」は娘が育てたグループ』とは絶対に認めなかった」
特殊な母娘関係を象徴するエピソードがある。「嵐」がブレイクを果たす前年の2004年、ジュリー氏は結婚、出産を経験。一時期は良好な関係を保っていたジュリー氏の元夫について、“会社を乗っ取ろうとしている”とメリー氏は疑い始め、元夫とジュリー氏双方に探偵が張り付くようになるのだ。
「メリーさんはジュリーさんに『お前の夫はこんなにひどい人間なんだぞ』というのを知らしめたかったということですか?」
「そうなんでしょうね」
「そんな子どもじみたことを本当にします?」
「それが母という人です。すごくチャイルディッシュな人だった。(略)もちろん母は自分がやっていない体(てい)ではあるんですけど、『あなたもこんなふうにみんなに追われているのよ』と。『気をつけなさい』といったことを私に伝えてきたんだと思います」
しかし紆余曲折の末、ジュリー氏はジャニー氏から会社を受け継ぐことを17年に決心し、18年から東京・乃木坂の新社屋に通うようになる。この時期は16年には「SMAP」が解散、20年には「嵐」が活動休止するなど、激動の数年間だった。「SMAP」は16年1月にいったん活動継続を決めたものの、結局、12月に解散することになった。
「(「SMAP」について)ジャニーも最後には『もう解散は仕方がない』と言っていて、それでも『ここまで応援してくださったファンのために、せめて解散ライブだけはやってほしい』と彼らにお願いしていたのですが、そういう空気にさえなりませんでした」
「嵐」は19年1月に、20年末での活動休止を発表。休止前の最後のライブは20年の大みそか、東京ドームで行われた無観客コンサートだ。インタビュアーを務めた作家・早見和真氏(48)はこう尋ねている。
「休止を発表した19年1月の時点では、コロナはまだ影も形もなかったわけですよね? それが1年後には思ってもみない広がり方をして、街が想像もしていなかった色に塗り替えられていて、日本中に愛された『嵐』の最後のコンサートまで無観客でやらなければいけなくなってしまった。それって、やっぱり普通のことではないですよね」
「でも、最後のコンサートに限って言えば、あれで良かったという気持ちもあります。たしか松本(潤)が『最後のライブを、何十分の1、何百分の1の幸運なファンの方としか過ごせないより、「みんな同じ環境」というのはずっとフェアなんじゃないか』って言っていました。それを聞いたとき、私自身も『彼らのこれまでのコンセプトには合ってるな』と感じました」
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