ぶりっこを演じる森香澄を、なぜ人は「賢い」と評価したくなるのか 「あざとい女を正しく評価する」という自己演出が

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田中みな実、あのちゃん、そして森香澄に向けられる視線の共通点 「あざとい」キャラではなく、「キャラを評価できる自分」が賢い?

「本当はあざとくないのかも」「わざと嫌われ役を演じているのかも」……。こうした推測は、森さんだけでなく「ぶりっこ」キャラの女性タレントたちに向けられてきた。だからこそ田中さんは、ある程度の好感度を回復したところでズバズバと共演者に物を言うご意見番キャラにシフトし、「ぶりっこはキャラだったんです」という印象を強めた。ふわふわした口調の不思議ちゃんキャラだったあのちゃんも、毒舌っぷりとバラエティー対応力の高さを見せ、人気が急上昇。「やっぱりぶりっこタレントたちって演技なんだ。実はサバサバしていて頭がいいんだ」という世間の風潮を加速させたのではないだろうか。

 それは森さんにも追い風をもたらした。森さんを評価する多くのコメントには、あたかも「森香澄を嫌うのは思慮が浅い」というマウンティングにも似た雰囲気が漂っている。森さんという存在が、「計算高い女」というかつてのネガティブイメージを内包しながら、それを「読めている自分」を演出するための素材として消費されている構図──それが現在の彼女を取り巻く環境の本質ではないだろうかと思うのだ。

 かつての「ぶりっこ」は、同性からは冷ややかに見られ、異性からは理想と現実のギャップに失望される存在だった。だが今は違う。SNSが可視化したのは、「あざとかわいいから得をする」という女性以上に、「あざとい女を正しく評価する」という自己演出に熱心な人々の存在ではないだろうか。彼らは森さんを通して、時代にアップデートされた女性観への理解や、多様性への寛容さを示したがっているように見える。そこには、評価の対象が森さんそのものではなく、「森香澄を受け入れている自分」になってしまう、というねじれがある。

キャラか本音か 「あざとさ」の評価軸は「かわいい」だけでなく「賢い」へ

 では、森さんは本当に「キャラ」なのだろうか。先輩アナに対する冷笑音声も、SNSでのモテる自撮りも、バラエティーでの対応力も、すべてが戦略通りの演技なのか? それとも、単に「好きなことを好きにやっている」だけなのか?

 それを見極めるのは、もはや不可能だ。なぜなら、視聴者はすでに「戦略を見抜いた気でいる自分」というメタ視点に取り込まれているから。父親が放送作家という出自も大きく影響しているだろう。森さんが実際に賢かろうが賢くなかろうが、彼女はすでに「賢く振る舞っていることにしておきたいシンボル」になっている。だからこそ、彼女のダンスを見ても、発言を聞いても、「この振り切り方、さすが賢い」と結論付けてしまう。

 森香澄という存在は、今やあざとさを演じるキャラである以上に、「賢いあざとさを理解できる社会」の表象なのかもしれない。あざとさは「かわいい」だけでなく、「賢い」という新たな評価軸を手に入れた。だがその裏で、森香澄という鏡に映っているのは彼女自身ではなく、彼女を「見抜いた」つもりでいる視聴者たちの姿なのだろう。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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