「あんぱん」敗戦後に視聴率「1%」アップの理由 計算し尽くされた「中園ミホ氏」の脚本

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中園氏の脚本力は抜群

 ここで子役編から青春・青年期編に変わったため、中園氏は主要登場人物の紹介を済ませた。同時にその後の物語の布石も打った。

 エピソードを場当たり的につなぐドラマもよくあるが、この朝ドラは物語がほぼ一直線につながっている。これが観る側を惹き付けている大きな理由である。

 パン食い競争でののぶは男女差別に悔しい思いをした。それから19年。敗戦によって制度上は男女差別が消えると、性別に関係なく仕事をする高知新報に入った。1946(昭21)年、第66回からだ。

 敗戦が近かった1945年(昭20)年の第56回、田川岩男(濱尾ノリタカ)は自分を撃ったリン(渋谷そらじ)を庇いながら死んでいった。岩男はパン食い競争では狡猾な性格を露わにしたが、戦地では好人物に変わっていた。それが悲しみをより大きくした。狡い岩男は伏線だったのである。

 同じ年の第58回、今野康太(櫻井健人)は飢えのあまりに戦地の老婆に銃を向け、食料を要求した。これを不意に観せられたら、おそらく多くの視聴者は気分が悪くなる。

 しかし中園氏によって、パン食い競争の時点から「康太は食い意地が張っている」との予習を何度もさせられていた。だから、なんとか受け入れられた。

 時は流れて1942(昭17)年の第48回、1等機関士・若松次郎(中島歩)と結婚したのぶが、朝田家の家族写真を撮った。のぶは寂しげに「ヤムさんと豪ちゃんにもいてほしかった」と漏らした。

 豪(細田佳央太)は1939(昭14)年に戦死している。朝田家の住み込みパン職人・ヤムさんこと屋村草吉(阿部サダヲ)は1940(昭15)年だった第45回に出ていった。

 このとき、豪の元婚約者でのぶの長妹・蘭子(河合優実)は、明るい表情で「豪ちゃんはここにおるき」と左胸を叩いた。戦死から約3年が過ぎ、蘭子の心に一定の整理が付いたことを表すシーンだった。

 このやり取りについても中園氏には計算があった。胸の中に愛する人がいるというのは、のぶたちの母親・羽多子(江口のりこ)の言葉だった。羽多子が1937(昭12)年だった第28回、娘たちに話していた。やはり物語が一直線になっている。

 羽多子がこの言葉を口にしてから20回も過ぎていた。ややもすると忘れてしまう。それでも物語の筋は分かり、観るのに困らない。ただし、おぼえていると、より面白い。深みのある脚本なのだ。

 のぶが国家主義の教師から民主主義の記者になるまでが早いという意見があるが、どうだろう。

 のぶの国家主義が揺れ始めたのは1940(昭15)だった第46回。随分と前だ。ヤムさんが出ていった直後である。

「ウチ、何を見よってたかやろ」(のぶ)

 その後ものぶの葛藤が繰り返し描かれた。新聞記者になったのは最初の揺れから約5年後。合理的に考えると、十分な時間ではないか。

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