家業をあきらめ、妻と別れ… 「本能で走ろうとしていた」アイルトン・セナが“音速の貴公子”と呼ばれるまで

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大事故を目撃

 13歳でレーシングカートの競技会に参加し、17歳で南米カート選手権を制覇。19歳、20歳で世界カート選手権シリーズ2位になっている。このオフに幼なじみと結婚。

 81年、21歳になる年に新妻と共にイギリスへ渡り、フォーミュラフォード1600の二つのシリーズに参戦した。セナはその両方に優勝。F1への階段を勢いよく上り始めた、と周囲の誰もが期待した。

 ところが、セナのレース人生はここで幕を閉じていたかもしれなかった。

 シーズン終了後、家業を手伝うよう強く求める両親に折れて、セナはブラジルに帰国した。ここでもし夢をあきらめていたら、F1での栄光もなく、そして若くして世を去る悲劇もなかった……。

 レースへの思い断ちがたく、ブラジルでの生活を望む妻と離婚し、セナは翌82年2月、一人でイギリスに戻る。彼のレースへの情熱は家族も止めることができなかった。そこから天才セナ覚醒へのエンジンが加速する。

 82年、フォーミュラフォード2000に参戦し、イギリス選手権とヨーロッパ選手権の両方を制覇した。

 だが、この年の5月には、自分が出場する前座レースの後に開催されるF1ベルギーGPの予選でジル・ビルヌーブ(カナダ)のマシンが回転しながら空中に舞い上がって大破し、事故死する場面に遭遇した。

 8月には、豪雨の中で強行されたドイツGPのフリー走行中、ディディエ・ピローニ(フランス)のマシンがやはり宙を舞う大クラッシュをして両脚複雑骨折の重傷を負う大事故にも居合わせた。

 モータースポーツが常に死と背中合わせだという現実を、新鋭時代にセナは2度も目の前で見せつけられている。それでも自分がその世界で英雄になる運命に抗うことはしなかった。

 静かにほほ笑むセナのまなざしはいまも人々のまぶたの裏に焼き付いている。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年7月10日号掲載

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