富山弁で落語するのが「一番幸せ」 月に1度、故郷に帰る「立川志の輔」71歳の原点
毎日お祭りかと思うほどににぎわう商店街。というわけではない富山県富山市のアーケード通り。殊に中心地から離れて末端に行くほどに閑静さを増してゆくそのあたりに、「てるてる亭」という小さな演芸ホールがある。キャパは266席。そこはいつ通っても人気がなく、暗い。なのだが月に1度だけパッと明かりが灯り、ハッピ姿の人に迎えられて、どんどんお客が吸い込まれてゆく。こんな日は、立川志の輔(71)がここにいるのだ。そう、あの立川志の輔がこの小さなホールに!
なぜだ?
という疑問が浮かぶ。
僕のDNA
なぜ、日本各地、いや海外からのオファーもひっきりなしの立川志の輔が、超絶多忙なスケジュールをやりくりして、富山のこの小さなホールへ毎月やってくるのか。
お話を伺った。
「ああ、それは」
嬉しそうに立川志の輔の顔がほころんだ。
「それは、僕が富山に生まれて、18年間育って、僕のDNAはやっぱり富山県民だからなんですよ」
想像を超えた、意外な言葉が返ってきた。
「てるてる亭」は、2008年に立川志の輔の舞台として開館した。落語からも情の深さがヒシヒシと伝わる立川志の輔である。ひょっとして「志の輔師匠のために」とホールを作ってくれた地元企業(北陸銀行)に義理を通しているのだろうか。と考えてしまわなくもなかったのだ。ところが現実は、そんな貧しい想像をはるかに超えていた。
「僕は富山県人なもんですから、この高座に上がると富山弁が出てきてしまう。そしてもう元に戻れないぐらい富山弁でしゃべり続けることがあるんです。その時の僕、一番幸せな瞬間なんです」
まずは富山弁で考える
「富山弁でないとニュアンスが伝わらないってことがあるんです。『嫌いではないがいけど、好きでもないがいけど、この人のこと、悪くは思わんけど、でも正しくもないがいけど、なんちゅうがかね、この人の……』というそれは、標準語で言うと面白くもなんともないがいけど、富山弁で言うと、なんとかその人のことを、くささないで、でも持ち上げないで、でも本質を言ってあげられたらいいな、という富山弁のなんとも言えない微妙なところ。これをしゃべっている時の自分、これが一番『あ、俺幸せだな。俺ずーっとこのままでいいんだけど、東京に戻ったらまた江戸弁の落語をやらなきゃいけない』って思ってるぐらいに、富山弁を話している時の自分が最高に幸せなんです。だから月に一度、それをやってるんですよ。無理にここで富山弁をしゃべろうとしているんじゃないんです。普通にしゃべり始めるんですけど、興奮した時に富山弁になった時に止まらなくなってしまう、そんな瞬間があるんです」
立川志の輔にとって富山弁は、体から滲み出る第一言語なのだ。だからなのだ。
さてこの日の雑談部分(マクラ)ではトランプ夫妻の架空の会話があったが、立川志の輔が語るとこんなふうになる。
メラニア:あんた、あん時あんなことゆっとったけどぉ、考え直してみたらいいがんないがけ。
トランプ:……んーなことゆったってぇ、もうゆってしもたもん、今さら、どうもでっきんちゃ。
メラニア:んーでもぉ、あんたぁ。
トランプ:んーなら、あんた……ゆうこっちゃ。あんた、ゆっとかれ。
沸き立つ会場である。「富山のここでならチケットが取れる」と県外から新幹線で駆けつける人も多いというから、この会話がどこまで理解されていたのかはわからないが、富山弁のかもす雰囲気がもう身体中をくすぐってきて楽しくてならない。
「ひょっとしたら落語家の中で、生まれ故郷で方言で落語をすることを一番楽しみにしてるのは、僕かもしれませんね。それほど僕の体は富山弁でできていて、僕の脳は富山県人的にできているんです。東京にいるときでも、僕はまずは富山弁で考えていて、口から標準語で出てくるだけなんです。今でもまずは富山弁で考えてるんです」
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