タイパ世代の若者はなぜ「数学は割に合わない」と考えるのか…マジメな会議より、ムダ話から「斬新な企画」が生まれる理由
数学の勉強とバスケの練習の違い
「学びとは何たるか」はさておき、私はバスケットに例えて生徒たちに質問しました。
「バスケだと、3ポイントシュートの成功率を上げるために、できるだけ多くの練習をしてシュート姿勢を確立させ、感覚を研ぎ澄ましていくよね。そこでは『時間対効果を考えて要領よくやろう』とは考えないよね?」
すると、生徒は答えました。
「もちろんそうですよ。スポーツは違いますよ、それは分かっています」
高校生なりに、時間対効果で要領よく運ぶ物事と、時間対効果では計れない物事を分類しているようでした。生徒にとって、勉強とバスケットの違いは「費やせる総時間数が決まっているかどうか」です。
再び「学びとは何たるか」はさておき、試験直前という時期は、物理的に勉強にかけられる総時間数が決まっています。自宅学習の時間が1日6時間、試験初日まで残り5日だとすれば、6×5=30時間が勉強に費やせる物理的な総時間数になります。この30時間を、どの科目にどのようにして振り分けるかを考えなくてはなりません。
一方で、バスケットは技術の向上に期限がありません。故に、費やした時間に対する見返りを考えずとも練習を繰り返せるのです。つまり、意識下か無意識下かは別として、時間対効果を考える時は「費やせる総時間数が決まっている時」か、もしくは「費やせる総時間数が決まっていると思い込んでいる時」だといえるでしょう。
無駄な時間は発想の宝庫
さて、たまには私にも愚痴を言わせてください。このように「数学は割に合わない」と言う生徒もいれば、「数学は暗記科目だ」と言って公式や解き方を全て暗記する生徒もいます。数学は「物事を順序立てて考える力」を養える教科なのですが、こうした言葉を聞くたびに、人生における数学の重要性をまだまだ伝えきれていないなと、私の力不足を痛感します……。
数学の勉強に限らず、時間を無駄にしたくない気持ちはとてもよく分かります。いつかはやらなければならない仕事なら、より効率的に終わらせたいと思うのは至極当然な発想です。しかし、私はあえて、一見無駄に思える時間こそ大切にすることをおすすめしています。特に、人と対面で過ごす時間や無駄話をする時間を大切にしてほしいです。
無駄話と聞くとあまり良い印象を受けないかもしれませんが、「無駄話=目的のない話」ということです。家族、友人、恋人とは、何のためらいもなく目的のない話ができるでしょう。話題も、趣味、子育て、節約術、次回のデートなど、私生活全般の何気ない話ができ、その話題は多岐にわたると思います。そうしてお互いに目的のない話をしていると、単なる思い付きでも、突拍子もない夢物語でも許されるので、自然とくつろげる時間を過ごせます。そんな他愛ない話のひとコマに、発展性のある素材が隠れていることがよくあります。
[2/3ページ]



