面接で「社長と寝られます?」 業界の闇を経験したベテラングラドルが「芸能マネ」を始めて変えたいコト

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平塚奈菜インタビュー後編

 20代の頃から、平塚奈菜はTBS「王様のブランチ」リポーターやグラビアアイドルとしての活動を行ってきた。華やかな芸能活動をしている一方、長年アルバイトをして生活費を稼いできた。

「芸能の仕事をやり始めたときに『これは売れないと食べていけない』っていうのがわかったので、ずっとアルバイトをしていたんです。レギュラー番組もずっとありましたし、ちょこちょことテレビ番組に出させていただいたりしてましたけども、芸能で食べていくなんて絶対不可能。ブランチを終わってからはずっと厳しかったですね」

 一方で、自分と同じくらいの仕事量のグラドルたちがどうやって普段生活しているか疑問に思っていた。

「私、芸能界の友達がほとんどいないんですが、ブランチで共演していた子たちは芸能の仕事で食べていける子が多かった印象ですし、舞台で共演した子の中には実家の援助がある子もいて、『普通のバイトをしている』って人はあまりいなかったですね」

 平塚自身は芸能活動の一方、時に朝はカフェ、夜は居酒屋と掛け持ちしながら生活をやりくりしていた。変わったアルバイトでは『何でも屋』も行った。

「ワンちゃんのお散歩代行とか、恋愛相談に乗るとか。男子高生が『女の子のお洋服を着てみたいけど、1人で行けないから、お姉ちゃんの設定で行ってほしい』という依頼もありました」

35歳になって「いつまでやれるの?」 就職活動を始めると

 今年3月、平塚は40歳を迎えた。芸能活動とアルバイトの日々を過ごす中、30歳でこのままでいいのかと人生を考えた。一度は芸能界を引退しマネージャーに転身しようと思ったが、ちょうど同じタイミングで芸能事務所から声がかかり、タレントとしての活動を続けた。ただ、そこからもアルバイト生活は続いた。

「去年までバイトをしてました。10年くらい子供の体操のコーチをやっていたんです。ただ35歳になって『グラビアの仕事をいつまでやれるの?』と思い始めて。私がグラビアを続けることを想像すると、50〜60歳までは難しい。その年になって今、生活の基盤となっている撮影会、雑誌、DVD、ファンクラブの売り上げがなくなった時に、じゃあ月8万〜10万円のバイト代で生きていけるのかというと難しいじゃないですか」

 そこで平塚は就職活動を開始する。ただ社会人経験がないため、募集にエントリーしても全く受からない。改めて自分がやれることを考えた時、芸能経験を活かした仕事か、子供に関わってきた経験を活かした仕事のどちらかだと思った。

「まず子供にかかわる仕事をやってみたいなと思って。それまでやっていたバイトを全部やめて、幼稚園の仕事1本にして1年間働いたんです。資格がある先生のお手伝いをする仕事だったんですけど、とても楽しくて。一生の仕事にしたいなと思って、資格を取るかどうか悩みました。一方で芸能マネージャーにもずっとなりたくて。幼稚園をやって楽しかったけど、もう一つ興味のある仕事もやってみようと思って、マネージャーの仕事を探しました」

 知り合いには声をかけず、当初は求人サービスから一般人として応募した。最終面接までいった事務所もあったが、芸能人であることが明らかになり、断られてしまったケースもあった。最終的に、かつて所属した事務所でアルバイトとしてマネージャー業をスタートさせている。

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