藤井聡太棋聖に挑んだ遅咲きの棋士「杉本和陽六段(33)」 決戦を機に明かした師匠「米長邦雄永世棋聖」の凄すぎる洞察力と勝負師としての矜持
米長氏の勝負師としての姿を見た
動画配信サービスで生中継され、のべ100万人が見守った世紀の一戦で、米長氏は2手目に「△6二玉」を指すユニークな戦法を繰り出して周囲を驚かせたが、力及ばず。「コンピューターに敗れた初の棋士」として、語り継がれることとなった。
「(米長)師匠は『正攻法でコンピューターと戦っても、きっと勝てないだろう』と完全に見抜いていました。『それでも何とか勝つ方法はないか?』を必死に考え、プライドを捨てて勝ちにいったのかなと思いますし、どんな相手であっても最後まで“勝負師”としての姿を貫かれたところに“らしさ”を感じました」
「電王戦」と題した棋士とコンピューターによる対戦は、その後も名だたる棋士が挑戦する人気企画に。さらに時が流れ現在は、将棋の世界でAIが普及し、それらを使った解説も一般的になった。
「棋士にとっても、年々発展を遂げるAIの存在が避けられないものになりましたし、AIとの向き合い方をじっくりと考える場面は年々増えてきています。一方では、AIの進化に伴い、将棋界では効率を重視する傾向が年々強まっているように感じていて。AIは『今後も将棋のあり方に大きな変化を及ぼしていくのではないか?』と、個人的には予想しています」
試合前は憂鬱だった
だが、杉本六段はAIが進化を続ける時代において、「飛車」を左翼に展開して戦う「振り飛車」を志向。右翼に飛車を残す「居飛車」と比べて、AIに評価されない傾向がある戦法を用いて、勝利を積み重ねてきた。
「右打者が左打者に転向するくらいの違いはあるので、自身のスタイルを確立する難しさはありました」
かつては「居飛車」を使っていた杉本氏が、「振り飛車」に活路を見出したのは、棋士を目指し、奨励会で切磋琢磨していた10代のことだ。
「小学生の頃に将棋の楽しさに目覚め、勝利を積み重ねた自信と共に奨励会の門を叩きましたが、事実上のプロ入りが決まる三段リーグに昇格した頃から、だんだん思うように勝てなくなり、自分のスタイルを模索するようになりました」
年に2回行われる三段リーグでは全18戦を戦い、上位2位以内に入った棋士が四段に昇格。事実上のプロ棋士としてのキャリアをスタートさせることになるが……。杉本氏は18歳から25歳までの7年間、あと一歩で昇格を逃すシーズンが続いた。
「結果が出ないと、玉を固めてないと不安になったり、勝負どころで無難な手を差してしまうこともありました。そのせいで形勢が追い込まれると、さらに自分のことを信じられなくなっていくんです。まさに悪循環そのものですよね」
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