「人気取りに流れて肝心なことを言わない政治家は下の下である」 大物議員が遺した痛烈な言葉とは
良薬は口に苦しということわざは、選挙においては禁句のようである。
自民党、公明党、立憲民主党、国民民主党、日本維新の会、共産党、参政党、れいわ新選組、日本保守党などなど、あらゆる党が公約と称して、リップサービス合戦を展開。
「この政策は大切だが痛みも伴う」といった主張はほぼ見られない。
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第1次安倍政権で官房長官を務めるなど、長年、与党の重鎮議員として活動してきた与謝野馨氏(2017年没)が2008年に刊行した著書『堂々たる政治』のオビには「耳障りなことを言う。それが私の仕事である。」とのコピーがある。政治家は長期的な視点を持ち、時には国民受けが悪いことも言わなければならない、というのが与謝野氏の信念だった。
同書の中で与謝野氏は自身の考える「政治家の条件」を述べている。それは清潔さでもなければ、演説のうまさでもないという。
一体何か大切だというのか。同書をもとに見てみよう。
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肝心なときに判断する力
政治家にとって一番大切なのは何か。
それは、肝心なときにものを言い、肝心なときに行動することである。清潔であることでもないし、演説がうまいことでもない。そういう些末なことではなく、良い世の中を後の世代に残そうという理想の下で、肝心なときにものを言い、行動すること。
私は、「どうして日本はあんなばかな戦争をやったのか」と考えることがある。そこで一つ思い至るのは、昭和10年代の政治家というのは、ほとんどイメージが残ってないということだ。
ほんのわずかな例外を除けば、政治家が、肝心なときに何の発言も、行動もしていない。その当時の政治家がお粗末だった証拠だ。政治家は細かいことをチマチマとやっているような職業ではなくて、普段は遊んでいてもいいし、昼寝していてもいいが、肝心なときは自分の責任で物事を判断するという気概を持っていなければいけない。
選挙で受かってきている人間だから、多少は有権者との関係も心地よいものにしておかなければいけないが、それでも人気取りに流れて肝心なことを言わないというのは、政治家としては「下の下」と私は確信している。
調子のいいことを言って通用するのは最初だけ
その点、最近の政治家は、人気取りに流れ過ぎている。時の流れに乗って行動するのではなく、基本的に自分の頭で物事を判断し、逆に国民の皆様に理解していただく努力を続けていくことが大事だ。
人間関係で、調子のいいことを言って通用するのは最初だけ。政治家もまったく同じことである。
私が衆院議員に初当選した1976(昭和51)年は、戦争が終わって30年しか経っていない時期で、戦争を知っている政治家がたくさんいた。昭和20年代の日本の困難な時期を乗り越えてきた政治家がいっぱいいた。それらの先輩議員というのは、我々にとって、本当に恐ろしいほど特別な存在だった。
ところが、今の若い政治家は、日本が豊かになり、戦争の惨禍から完全に抜け出してから育った世代。豊かさを当たり前のものと感じているようだが、この豊かさは、日本人が努力して勝ち取ったものだという意識が低いのではないかと心配している。
自民党の政治家を見る限り、若い政治家ほど、能力としては優秀な人が出てきたと思う。専門分野について深い知識を持つ人が多くなってきた。それだけでも期待が持てると思う。期待は持てるのだが、日本がこれから本当の困難に直面したときに、彼らに正しい判断ができるかどうか、やはり不安だ。難しい時代に訓練を受けた人たちは、素晴らしい判断力を持っていたと思う。
今は若い人も女性も多く当選しており、非常に華やかだ。決して悪いことではない。ただし、全般的に若い政治家に共通しているのは、どうしようもない困難にぶつかった経験がないということである。
それでは、困難な局面で判断を誤る怖れがある。
近衛文麿は45歳で総理になった。見た目も良かったという。戦争の引き金を引いたのは彼である。
一方、終戦直前に総理になった鈴木貫太郎は当時77歳。口では「一億玉砕」などといいながら、どうやって戦争を止めるかに腐心していた。このことは象徴的なエピソードだと思う。
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リップサービス合戦の様相を呈している参議院選挙。日本をV字回復させる秘策を持つ党が存在するのか、それとも「調子のいいことを言っているのは最初だけ」の再現になるのだろうか。





