巨人優勝への道はキツい、厳しい…6日の広島戦で見えた阿部監督と選手たちの“精神的な疲れ” 大勢は投球に対する考え方の再考を【柴田勲のコラム】

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優勝への道はキツい、厳しい

 長いペナントレースには要所要所で「ターニングポイント」がある。分岐点だ。

 その観点から見れば、巨人が広島に2対1から逆転負けを喫した6日のゲームがそうだった。この日の負けで、巨人は首位・阪神とのゲーム差が今季最大の8となった。

 7ならば首の皮一枚でつながり、追走できるかもと思っていたが、こうなると優勝への道はキツい、厳しい。

 6月30日の時点で阪神とのゲーム差は3.5だった。その阪神に3タテされて、続く広島3連戦を1勝1敗1分、6連戦は1勝4敗1分けに終わった。食らいつくどころか、大きく離された。

 6日の広島戦を大勢で落としたのが痛かった。

 3日、阪神戦(甲子園)でライデル・マルティネスがサヨナラ負けしたが、あれは仕方がない。マルティネスだっていつまでも勝ち続けることなんてできない。それに登板したのは2対2の同点の場面だった。

大勢はダメだった理由をじっくり考えてほしい

 6日は違う。大勢が登板したのは1点リードの9回だった。

 大勢は投球への考え方を再考する必要がある。これが売りとでも思っているのか、力に任せてエイッと投げている。ストライクとボール球がハッキリしている。そんなボール球では打者は振ってくれない。フォークはすっぽ抜けて死球だ。で、ど真ん中に行く。

 1死満塁から菊池涼介に浴びた2点適時打は150キロ超のストレートだったが、真ん中やや外だった。いくら球が速くても打たれるよ。打者5人に被安打3、死球1で2失点だ。

 もっともっと低めに丁寧に投げなきゃ。投球の基本だ。山崎伊織、フォスター・グリフィン、赤星優志が活躍しているが、彼らにはできている。投手は制球力が生命線、力だけでは打者を抑えられない。証明している。

 大勢はなぜ打たれたか、なぜダメだったのか、じっくり考えてほしい。そうでなきゃ、次回も同じような結果となる。

「ヒットを打てなくても……」長嶋さんの言葉

 毎回、指摘しているけど、それにしても巨人は打てない。打てないというか、タイムリーが出ない。この6連戦、6得点だ。

 80試合を消化して総得点220で総失点は229だ。接戦を繰り広げている。チーム打率は.241でリーグ3位、本塁打数は46でリーグトップ、本塁打がポツンポツンと出てもチャンスであと一本がない。

 やはり6日の試合だ。巨人は8回に1死満塁の絶好機をつかんだ。外野フライでも1点が入る。打席に立ったのは吉川尚輝だ。結果は……1-2から森浦大輔のボール球に手を出して空振り三振だ。

 技術ではなく精神的なものだ。

 このシーンを見て長嶋(茂雄)さんの言葉を思い出した。外野フライでも1点、同じような場面でよくこう言った。

「ヒットを打てなくてもお客さんに喜んでもらうことができる。トスバッティングのつもりでバットに当てればいいんだ」

 さらには「足の速いお前が三塁にいれば内野ゴロ、浅い外野フライでもいい」。もちろん、長嶋さんはプラス志向で心の中でウハウハする余裕があった。

監督以下選手たちに精神的な疲れか

 でも吉川は「打たなきゃ、フライを上げなきゃ」の気持ちが強過ぎた。それがプレッシャーになった。ありありと見えていた。

 続く増田陸のボテボテの三塁内野安打で1点をもぎ取ったが。こんな時は考え方を変える。相手投手だって苦しい。切羽詰まった考え方を捨てて、もっと余裕を持つことだ。

 打線全体が萎縮している。阿部慎之助監督以下選手たちに精神的な疲れが広まっているのではないか。

 主砲の岡本和真がケガで離脱して2カ月になる。いま出場している選手たちは若手が多い。実績はそれほどない。本塁打はトレイ・キャベッジの8本が最高で坂本勇人、丸佳浩はそれぞれ1本だ。

 泉口友汰、吉川は本塁打を多く打てるタイプではない。オコエ瑠偉にしてもそうで、あの体をしていながら期待できない。ヘッドが遅れて出てくるから遠くへ飛ばせない。中山礼都も同じでまだ甲斐拓也に可能性がある。

いまの巨人は投手陣が支えている

 それでも3位につけている。泉口と増田陸がいなかったらと思うとゾっとする。

 でも「タイムリー欠乏症」がこれ以上続くと投手陣にも悪影響を及ぼす。いまの巨人は投手陣が支えている。

 こんな時こそ、首脳陣は選手たちがリラックスできる環境を整えて、「結果は後からついてくる」くらいの覚悟をもってノビノビとやらせてほしい。

 巨人は阪神を乗せて、さらには広島も勢いづかせた。巨人が球宴を前にここまで落ちるとは思わなかった。その球宴まであと10試合残っている。頑張ってもらいたい。

(成績などは7日現在)

柴田 勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部

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