美空ひばりから「こっちの世界の邪魔しないでよ」と可愛がられる…元大関「増位山さん」が漏らした「男の嫉妬ほど怖いものはない」

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「男の嫉妬ほど怖いものはない」

 そして、そのあまりに「恵まれ過ぎている」ことが、他の力士から猛烈なやっかみを買うことになる。取材で彼が何度も口にしたのが、この言葉だ。

「男の嫉妬ほど怖いものはない」

 当時、横綱北の湖らもレコードを出していたが、売れていないから、あまり話題にもならなかった。ところが、「そんな夕子~」は林家三平の妻・海老名香葉子が作詞し、「夕子」は海老名家のお手伝いさんの名前という「お膳立て」もバッチリで、130万枚のミリオンセラーを記録した。「私の知らないところでお皿(レコード)が回っていた」というほど売れに売れた。さらに、77年「そんな女のひとりごと」も130万枚のミリオンを記録した。

 北の湖とは同期で、同じ三保ヶ関部屋だから良好な関係だったが、太志郎が頭を痛めたのが日本相撲協会やらライバル、同僚らの反感だった。

「増位山は相撲を取らないで歌ばかり歌っている。歌唱印税でがっぽりお金が入る」

 と陰口を叩かれた。揚げ句、歌うことはまかりならんと協会にダメ出しされてしまう。

「僕は好きなことをやっていただけでしょ。本を書いて印税をもらっている力士もいるのに、僕には歌うのをやめろという。協会はよほど癪だったんでしょうね」

 話を聞いた時も、釈然としていない様子だった。そして、「好きなことをダメといわれるのはこんなにつらいのかと思い知らされた」と語った。

 一時は歌番組を見るのも嫌になった。そんな嵐のような時が過ぎ、流れが変わって、歌うことを再開できた時には夫人が「本当によかったね」と泣いたそうだ。それくらいイジメ、今ならハラスメントに晒されたということだろう。

 所属するテイチクでは石原裕次郎やディック・ミネ、八代亜紀らにも囲まれた。美空ひばりは「こっちの世界の邪魔しないでよ」と笑いながら声をかけてくれた。そんな風にかわいがられたのは「僕がチョンマゲをつけた力士だから」とそこでも増長せず、世の中はそういうものとわきまえていた。

画家としても知られ

 太志郎は画家としても知られている。父・大志郎は力士になる前、大阪・北新地の米屋に丁稚奉公してアルバイトで映画館の看板書きをやっていた。元々、絵心があり、引退後に二科会の先生を紹介してもらい、公募展で毎年のように入選していた。その才能は太志郎にも受け継がれ、二科会で十数回入選し、特選も受賞した。

 ある時、有楽町の交通会館で「黄色いさくらんぼ」のスリー・キャッツ、牧山直江さんらとグループ展を開いていた。その時、牧山さんに「あの人は今」というコーナーのインタビューを依頼したのだが、そこで増位山にも挨拶することができた。

 連載の時には絵の話にもなった。増位山は東郷青児が二科会の会長だった頃に目をかけてもらい、油絵と水彩画7、8枚を所有していた。そんな会話の中でふと、「義父(斎藤三郎)が東郷先生と一緒に二科でやっていました」と言ったら、「ああ、知ってますよ」と答えてくれた。(つづく)

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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