美空ひばりから「こっちの世界の邪魔しないでよ」と可愛がられる…元大関「増位山さん」が漏らした「男の嫉妬ほど怖いものはない」
コラムニストの峯田淳さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている峯田さんが俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返ります。第23回は6月15日に76歳で亡くなった元大関で歌手の増位山太志郎さん。峯田さんとは意外な縁があったそうで……2回に分けて送ります。
【前後編の前編】
相撲より歌が先
増位山は兵庫県姫路市にある標高259メートルの小高い山だ。
遠くから西播丘陵の山並みに静かに溶け込んでいるように見える。先頃、亡くなった元大関増位山(太志郎)の「増位山」はこの山のことで、姫路出身の父・先代の元大関増位山(大志郎)から継承したものだ。日本相撲協会の公式サイトによると、太志郎の出身地も姫路になっている。
だが、実際は東京で生まれ、かつて花街だった中央区新富町、墨田区両国で育った。増位山が父・増位山を継いだのは当然として、出身は東京でもいいはずだが、姫路にしたのはルーツにこだわりがあったからだろう。
母の祖父と父親も力士、自身の父親も大関という相撲一家の出。本人は一族の「4代目」と、筆者が担当した連載「多芸多趣味は老い知らず」の中で語ってくれた。
もっとも、姫路にある増位山は一般的にはあまり知られていない。姫路出身にこだわることに説得力があるとも思えず、何かの折に一度、増位山をこの目で見てみたいと思っていた。姫路競馬に出かけた時のこと、「競馬場から増位山が見えますよ」と言う。確かめると、ターフビジョン右後方の丘陵に溶け込むように、増位山があった。
「増位山」を四股名に用いた力士は、さかのぼること江戸時代から複数いたというが、姫路出身は先代のみ。だから太志郎も姫路にこだわったのだろう。これが「増位山」の由来かと、合点がいった気がした。
増位山は若貴兄弟とは違い、初めから父の背中を追って角界に入ったわけではない。日大一中、日大一高では水泳をやり、力士に転向したのは成り行きだった。
日大一中時代からポール・アンカやニール・セダカといったアメリカン・ポップス、フランク永井のムード歌謡に親しみ、将来は歌手になりたいと思った。相撲より歌が先だった。それでも、大関となり、現役時代から歌手として「そんな夕子にほれました」(74年)でヒットを飛ばすことができたのは、花街育ちで芸事好きという一家の艶のある環境も大きかったようだ。さらに、天から授かった甘い歌声……。
もっとも、歌も相撲も手に入れることができたのは本人曰く、
「もし力士になっていなかったら歌手になれていなかった。うまく世の中が回った」
と、幸運に恵まれたことを自覚していたが、類まれな才能、持って生まれたものが他と違っていたことだけは間違いない。
[1/2ページ]