「国鉄初代総裁」の轢死体を発見…いまも検証が続く「下山事件」、大学同期の元警視総監が語った“ただならぬ挙動”とは【週刊新潮が見た昭和】
事件に影を落とすGHQの存在
もちろん、GIIが事件捜査にタッチしたカゲなどありようはずがなかったが、しかし、当時、目撃者の割り出し、その証言から、いちはやく「自殺説」をとった警視庁捜査一課(注:これに対して捜査二課は「他殺説」をとった)には、たえず「二世のアメリカ軍人」が顔を出していたという。そして、
「その報告が自殺の線がにおうものだと喜ばれなかった。おもしろくない顔をされた。自殺じゃまずいという空気だったんでしょうね(彼らの意図したものは「赤色テロでないと困る」という意味か――編集部注)」(『資料・下山事件』関口由三〔特捜本部主任搜査官〕証言より)といった調子であった。
下山総裁が失踪する直前のある日、GHQ民間輸送局の鉄道課長シャグノン大佐が、深夜酒に酔って総裁私邸を訪れ、「ピストルを胸にぶらぶらさせて」下山総裁を恫喝したという話は、あまりにも有名な当時の空気を伝えるエピソードだが(このシャグノンという男は、日本の鉄道のことを「マイ・レール・ロード〔オレの鉄道だ〕」といっていばっていた“粗野”な男だったが)、田中栄一氏にも、彼らに相当おどかされたことがうかがえる。
早く犯人をあげないとお前のクビが危ないぞ
田中氏はある雑誌に手記を求められ、「下山事件の真相」(昭和35年)と題して、こう書いている。
「私は、下山事件のときしばしば引き合いに出されたキャノン(※)はよく知っている。キャノンに関していえば、われわれも相当圧力を感じた。特に彼はウィロビーの直系だったため、憲兵司令官なども一目おいているくらい権威があった。(中略)下山事件のことをキャノンに話すと、彼は“早く犯人をあげないと、タナカ、お前のクビが危ないぞ”などといってよく私をからかったものだった」(※GHQ参謀第二部の諜報機関であるZ機関、通称・キャノン機関のジャック・キャノン)
だが、たとえGHQが当時の警視庁にとって、そのような「こわい立場」に位置していたことがあったにせよ、なにしろ田中氏は、時の警視総監である。“情報”を持っていた人、という点に関しては、田中氏の右に出る人はおそらくあるまい。
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