「置き配」の標準化はインフラ崩壊の序曲 実行前にできることはたくさんある

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法改正のたびにドライバー不足に

 1990年代初頭にバブル経済が崩壊して以降、日本人の給料はほとんど上がっていない。先ごろも東京の月給はニューヨークのほぼ半分だというニュースが流れた。そこに物価高が襲いかかっているわけだが、それでもインフラは整備されている、という安心感が私たち日本人の救いになっている。「置き配」が標準サービスになれば、その安心感にさえヒビが入る。ひいては社会への信頼が毀損されることにもつながる。

 ところで、なぜドライバーがそれほど不足しているのか。

 よく指摘されるのは、以下の理由である。物流業界はほかの職種にくらべて収入が低く、それなのに労働時間が長い。また、若年層の新規就労が少なく、ドライバーが高齢化している。女性の進出が進んでいない。それなのに、EC(電子商取引)サイトの拡大などによる個人間取引が増加し、宅配の重要は急増している。

 それはそのとおりだが、問題は、これまで法改正(むしろ改悪)等により、こうした状況がさらに悪化してきたことにある。

 たとえば、2017年には運転免許制度が改正され、普通免許で運転できる車両が制限された。それまでは最大積載量3トン未満、車両総重量5トン未満の車両を運転できたのに、改正後、最大積載量2トン未満、車両総重量3.5トン未満しか運転できなくなった。自動車運転の安全性を高めるための措置だったのだろう。しかし、より大きい車両を運転するには準中型免許が必要となった若年層にとって、運送業界でドライバーになるためのハードルは明らかに上がった。

 とどめを刺したのが物流の2024年問題だった。昨年4月から、ドライバーの時間外労働時間は年間960時間に制限された。もちろん、ドライバーの労働環境を改善し、心身の健康を守るために行われたことではある。だが、長く働くことで安い給与を補っていたドライバーにとっては死活問題になった。また、長時間労働によって、ほかの業界より多い収入を得ていたドライバーにとっては、就労先としての魅力が失われた。結果として、ドライバーの労働時間が減っただけでなく、多くの離職を招き、ドライバー不足を一層深刻にしたのである。

「置き配」の前にできることがある

 つまり、猫の手も借りたいときに、むしろ猫をわざわざ追い払って、人為的に人手不足を深刻にしてきた、というのが実態だといえる。

 運転免許制度の改正や時間外労働時間の制限は、いずれも安全性や健康の改善が目的だったかもしれない。だが、こうして社会に深刻な影響をおよぼすのであれば、広い意味で安全性や健康の増進にはつながっていない。世の中、あちらを立てればこちらが立たない、ということが多い。政策とは本来、それらのあいだで比較考量し、より利益が大きいほうを選択すべきものだろう。

 あえてドライバーを減らすような施策を重ねて、ドライバーが不足しているから利用者に不便や不安を科すのは本末転倒にすぎる。

 運転免許制度をもとに戻したっていいではないか。時間外労働は、長く働きたくない人には科すべきではないにせよ、働きたいという人には認めてもいいではないか。一度決めたことは変えないことが前提になっているから社会がおかしくなる。そのうえで妊娠や出産した女性の育児休業や再雇用制度の整備や、勤務先や納品先での女子更衣室や女子トイレの設置を促すなどして、女性も働きやすい業界にする。

 現状のサービスを伴った宅配システムが、私たちの生活の安寧を支える社会インフラの一環だという意識があれば、「置き配」を標準サービスにする、などと言い出す前に、すべきことが見つかるはずだと思うが。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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