TSMC工場設立で教員不足に…仕事を増やせば「豊かになる」は幻想だった 人は「投資」で幸せになれるのか
GDPと人々の幸せの関係性
最近では、熊本のTSMC(台湾積体電路製造)の工場建設が地方経済の成功例として語られます。大きな工場ができて仕事が生まれ、給料が高くなることは一見して良いことのように見えます。
ところが、実際には、給料の高いTSMCに人が集まることで、学校に人材が集まらなくなっています。地元企業は例えば、16万円程度だった初任給を、TSMCに対抗して20万円以上に引き上げざるを得なくなっている一方、教員の給与は法律で縛られていますから簡単に上げることができません。
かつては安定した職業として教員が選ばれていたのに、今はTSMCができ、地元企業の給料が上がったため、教育現場に人が集まらない。TSMCに引っ張られる形で、本来必要である学校の教員が不足する状況が生まれている。そんな話を熊本の先生方から聞きました。
僕はこの教職調整額が4%と上限があること自体が以前から問題だと思っていて、教育や介護などの分野こそ、給料を上げるべきだと思います。
一方、熊本の事例は学校の先生のなり手がいないというだけの問題ではなくて、「お金を増やせば、仕事を増やせば、豊かになる」という従来の考え方が通用しなくなっていることを表しているように思えるのです。TSMCの進出によって教員が減ったのでは地元の人々の幸せにはつながりません。
人手不足が深刻化する中では、GDPについてもよく考え直す必要があるでしょう。例えば、地方に1兆円の巨大なハコモノを作れば、経済効果は1兆円プラスαとして計上されるでしょう。数字上はGDP(国内総生産)が増えるかもしれませんが、それは単に「お金を使った量」が増えるだけで、人々が幸せになることとイコールではない。無駄に人手を使ってしまうことでむしろ本当に必要なものが作られない可能性もあります。
石破茂首相は2023年9月のブログで「今求められる『経済の成長』とは何なのか、それを考えるにあたって、付加価値の総和であるGDPと人々の満足度・充足度との関係をどのように定義すべきなのか」と綴り、僕の著書に触れてくれました。石破首相は必ずしもGDPの増加が人々の幸せに直結するわけでない、ということを本質的には理解されているといいのですが。
いかに欲しがらせるか
日本が敗戦し、復興する時、やるべきことは単純でした。生活に必要な道路を作り、鉄を作り、家電や自動車など、消費者が欲しいものを作る。欲しいものを作るために人々が働き、給料をもらう。つまり、企業がやるべきことと生活者が向いている方向が近かったわけです。ところがその後、消費者が欲しいものが減ってお金を貯めるようになった。そうなると、企業の努力は、消費者にいかに欲しがらせるかに変わったわけです。いまでは、企業は高付加価値の商品を売ることに重きを置いている。企業は高いものを売ってお金を稼ぎたい、生活者は生活が良くなるものを買いたい。つまり、企業と生活者の方向性が乖離しているわけです。そのため企業は、マーケティングや広告を駆使して「消費者に欲しがらせる」努力をするようになりました。しかし、生活者が欲しいものを企業が作るのが本来ですよね。
学習指導要領が改訂され、2022年から高校での金融教育が義務化され、金融教育の現場では証券会社の人が講義を行うことがあります。
最近も学校現場で証券会社が「ドルでの資産運用」を勧めているという話が報じられ、驚きました。金融機関の社員やエコノミストを呼んで学校で講義をすれば、学生に金融商品をいかに売るかという話になってしまうのは当然です。
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