所属事務所がまさかの事業撤退…42歳フリーアナ、収入面に不安「商店街でパート」も考えた

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

収入面で不安

――個人事務所を作るという選択肢は考えましたか。

「はい、それも少し頭をよぎったのですが、これまで自分で営業をしたことがなかったんです。それに、私はチームで何かをやりたいタイプ。チームで仲間と一緒に切磋琢磨して高め合っていくのが好きなので、個人で全部をやるフリーは自分には難しいと感じました」

――収入面での不安もあったかと思いますが。

「もちろん、ありました。正直、パートとかそういうのも実際ありかなって思いました。近所に商店街があって、とても好きな街なので、食材を売るバイトをしながら次の仕事を探すのも楽しいかなと思ったんです」

――結果的に、新しい事務所に所属されたのですね。どのように見つけられたのですか?

「以前の事務所の方から『良い事務所があるよ』と紹介してもらったのが、今の事務所です。本当に、命拾いをしました(笑)。良いご縁をいただけたと思っています」

――TBSスパークルに所属されていた頃は、どのようなお仕事がメインでしたか。

「千葉テレビさんの朝の番組やいろいろなメーカーさんのホームページに出たり、YouTubeなどの仕事をしていました」

――仕事はしっかりきていたのですね。

「はい、仕事はきていました。だから、それがなくなってしまった時の収入的な不安は、やはり大きかったですね」

――プライベートはいかがですか。

「36歳の時に、5歳上の一般男性と再婚して、3年前には長男が生まれました」

――2022年10月のご自身のXでは、「人生いろいろありすぎ」とつぶやかれています。

「実は、子供が生まれて2ヶ月後に、父が突然亡くなったんです。おじいちゃん、おばあちゃんに孫と遊んでもらうという将来を描いていたので、『こんなあっという間に人っていなくなるんだな』と思い、人生観が変わりましたね。父は74歳で、あと10年は生きると思っていたんですが……本当に悲しかったですね」

――お父様から仕事について何か言われたことはありましたか。

「父はすごく厳しかったんです。アナウンサーになってからは、『すごいね』『上手だね』って褒めてもくれるんですが、番組でフリートークをした時など、『あのコメントはちょっと品がなかったかな』とか、『こういう風に言い換えた方が良かった』とか、細かくチェックしていて、アドバイスをくれました。今は正してくれる人がいない不安感がありますね」

 第2回【NHKアナウンサー試験、まさかの最終落ち 法大「自主マスコミ講座」先輩の助言とは】では、田野辺アナが学生時代や就職活動について振り返る。

田野辺実鈴
1983年、横浜市生まれ。2005年にTOKYO MXにアナウンサーとして入社。12年からフリーで活動を始める。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。