戦後GHQに招かれた凄腕の「旧日本軍参謀」 朝鮮戦争の“特需”に沸く日本を「危なっかしくて見ておれなかった」理由とは
「特需の行方」を知りたい人々が日参
こういった「GHQの中の日本人参謀」に、日本の政界、産業界の連中が、それこそ日参するように集まって来たという。“情報”を得たかったのだ。日銀や大蔵省の高級官僚も「朝鮮半島が赤化した場合の日本経済のあり方」を心配していたし、もっと切実だったのは、米軍の兵器の下請メーカーの連中だった。
「そのほとんどが火薬製造業に紙工業……。紙工業は砲弾を包むダンボール屋さんですが、自動車などの修理業の人もいましたね。なかには、私の知人で米軍の死体処理所に作業員として勤めている人もいましてね。その人は、“給料はとてもいいんだが、永続性はどれくらいあるのか”と質問してきました」(完倉氏)
中企業の経営者たちの関心は、米軍からの発注はいくらでもあるのだが、今の生産設備ではとうてい受注しきれない。設備を拡張すべきかどうか、というものだった。それに対して“日本人参謀”たちは、「戦争は長続きしない。設備拡張はしないほうがいい」と答えた。
商売も戦と同じ…先の先まで読まねば負ける
「ですが、残念なことに、たいていの人が工場を拡張したり、新しい機械を入れたりしましてね。ムリもないとは思うんです。終戦以来初めての好景気でしょう。そのために資金を投入し、従業員をふやし、という有様は危なっかしくて見ておれなかった。銀行までが、そのために金を貸しているんですからね。やはり目先の注文に気持ちが走ってしまうんですねえ」
華々しい戦闘は一年足らずで終息し、やがて板門店の休戦会談となる。こうなると兵器生産はパッタリと止まり、設備投資の借金に追われてつぶれていく会社が続出する。
「左前になった会社の経営者が、あとで私を訪ねて来て、“あの時いわれたとおりにしておけばよかった”といってました。一方、私のアドバイスを聞いてそのとおりにした会社は、今でも繁栄していますよ。商売も戦と同じで、先の先まで読んで、分析して、堅実にやらないと、負けるものですねえ……」
こう語る完倉氏は、今は「個人の資格で」、相変わらず、ソ連の軍事力・経済力などの分析をやっている。「生きている大本営の参謀」である。
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この取材に応える2年前の1969年、中ソが武力衝突した珍宝島(ダマンスキー島)事件の際も、完倉氏はソウルに招かれ、ソ連についての詳細な解説を行ったという。そして、91年12月にソ連が崩壊する頃まで、執筆活動や日本記者クラブでの定期的な会見などを続け、専門家として活躍した。著書に『関東軍参謀部』『ソ連軍部明日の決断:崩壊かクーデターか』等がある。
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