戦後GHQに招かれた凄腕の「旧日本軍参謀」 朝鮮戦争の“特需”に沸く日本を「危なっかしくて見ておれなかった」理由とは

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対ソ戦の研究技術を朽ちさせるは惜しかった

 完倉氏は陸士47期卒。現在陸上自衛隊にいる、ある“戦友”は、完倉氏を評して、「陸軍きってのソ連通で、語学堪能。大本営の参謀だったが、いち早くソ連の参戦を予言していた人物だ。戦後、ウィロビーのGIIが彼の存在に注目したのは当然だった」という。

 GIIに招かれた完倉氏は、さっそくソ連の軍事情報の研究分析をやらされた。

「当時の米軍は、ソ連についての情報収集はできても、それを分析することに慣れていなかった。それで私などに協力を求めたわけですが、私自身はべつに、うしろめたい気持ちなどありませんでした。もともと私の専門は対ソ戦の研究で、ずっとそればかりやっていたし、その技術を朽ちさせるのも惜しかった。それに私は共産主義が好きでないもんですからね……」

 完倉氏にいわせると、ソ連についてはともかく、北朝鮮の軍事力についてのGHQの評価は、まったく甘かった。加えて、当時韓国に駐留していた米軍は、欧州の大平原での戦闘訓練は受けていても、朝鮮半島のような山の深い地帯での戦闘には全然慣れていない。

 もし、北朝鮮軍と米軍がマトモに衝突したら、米軍は相当追い込まれるだろう、というのが、完倉氏ら日本人グループの見解だった。

米軍入手の情報がストレートに回ってきた

 そういった見解が、米軍首脳部にどのくらい反映したのかは、完倉氏らは知るよしもない。が、その答えは、25年6月25日、戦闘が始まって以来の米・韓軍のさんざんの敗走ぶりで明白だろう。

 米・韓軍が釜山の一角にツマ立ちしてやっと持ちこたえているころ、完倉氏らに課せられた研究テーマは、「ソ連ははたして出て来るか」と、「北朝鮮軍は日本までやって来るか」という問題だった。

 日本人グループの結論は、「ソ連は参戦しないし、北朝鮮も日本には攻めてこない」だった。当時まだソ連は原爆を持っていなかったし、工業力も第二次大戦以来十分に回復していなかった。北朝鮮には海軍力がまったくない……。

「それがそのまま、GHQの判断になりました。そのころ、米軍が入手したソ連、北朝鮮などについての情報は、ストレートにわれわれの手もとに回ってきたものです。仁川上陸作戦も、そういった判断にもとづいて立てられたものでした」(完倉氏)

 ただし、中共の介入については、GHQもその中の日本人グループも、まったく予期せぬことだったらしいが……。

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