「ジャニー氏が唯一褒めた曲はSMAPの…」 伝説の名曲たちを生んだプロデューサーが明かす衝撃秘話 直後に「これ以上の曲、絶対に作れないから」とクビ宣告
【前後編の後編/前編からの続き】
誰もが知るヒット曲を多数手がけながら、知る人ぞ知る存在であり続ける人がいる。音楽プロデューサーの鎌田俊哉氏。45年前にバンドでデビューし、裏方仕事は40年超に及ぶ。ジャニーズの歌に名曲を増やした立役者が語る、アクの強い秘話の数々。【華川富士也/ライター】
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前編【ジャニー氏から「3カ月でクビになると思う」と言われ… 伝説の名曲を生んだ鎌田俊哉氏が明かす「仮面舞踏会」制作のウラ側】では、ジャニー喜多川氏、メリー喜多川氏の“無茶ぶり”を受けながら、鎌田氏が名曲「仮面舞踏会」を作り上げていった裏側について語ってもらった。
難航しながらも着実に完成に向かっていた楽曲制作だったが、発売まで1カ月となったタイミングで“事件”が起こったという。
「レコード会社の偉い人や支社の人たち50人が集まった中で『仮面舞踏会』を試聴し、曲が終わった瞬間でした。副社長が『皆さん、こんな曲でいいと思います?』と言い出したんです。すると社長まで『僕もイマイチだと思う』と続きました。それまで絶賛していたレコード会社の人たちはみな黙ってしまいました」
なんと直前で事務所上層部によって作品が否定されてしまったのだ。とはいえ、具体的な指摘はなく、何がダメだったのかは謎のままだ。
「仮面舞踏会」を拒否するジャニー氏とメリー氏… 鎌田氏は
重い空気が流れる中、鎌田氏はどう対応したか。
「正直、僕はここでの仕事はいつ辞めてもいいと思いながらやっていましたので、反論して突っぱねました。『60曲から選び抜いた曲です。1カ月でこれに優る曲を作るのは不可能です』と。なにしろ筒美先生と1年以上かけて作ってきたんです。このタイミングで『ダメだったのでもう1曲』なんて、先生との時間を裏切るようなことは絶対に言えません。20代半ばの僕のことが生意気な若造だと映ったでしょうが、別に命を取られるわけじゃないですから。裏方に回る前、バンド時代のひどい経験に比べたら、どうということはありません。自分の味方は自分しかいないと腹をくくりました」
なんとか押し戻し、デビュー曲は「仮面舞踏会」でいくことになったものの、一つだけ拒めないことがあった。歌詞を一部変えさせられたのだ。
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