「ジャニー氏が唯一褒めた曲はSMAPの…」 伝説の名曲たちを生んだプロデューサーが明かす衝撃秘話 直後に「これ以上の曲、絶対に作れないから」とクビ宣告
詩を無断で改変 姿が見えた瞬間に土下座
「実は作詞家のちあき哲也さんに黙って歌詞を直しました。これは絶対にやってはいけないことです。副社長が譲らずに『歌詞をこう直せ!』と強引な指示を出してきたんです。僕は『文字数が合いません』と言いながら少し直し、ちあき先生に謝罪に行きました。忘れもしない、場所は表参道のハナエモリビルにあった喫茶店です。ちあき先生が見えた瞬間に土下座し、歌詞を勝手に直したことを伝えました。誰の指示かと聞かれても『私の一存です。申し訳ありません』と言い通しました。ちあき先生は激しく怒り、僕を罵倒して帰られました」
ちあき氏は2007年に大ヒットしたすぎもとまさとのシングル「吾亦紅」の作詞者でもある。母を亡くしてひどく落ち込むすぎもとを見かね、慰めるために贈った詞だ。そんな心優しきちあき氏が、土下座する相手を罵倒するほど怒った。
作詞家の作品に無断で手を入れるのは、それほどあり得ないことなのだ。鎌田氏は“罪”をかぶった。
唯一ジャニー氏が褒めた曲
こうしたトラブルを乗り越え、1985年12月12日に発売された「仮面舞踏会」は、当時の大人気音楽番組「ザ・ベストテン」12月26日放送回に6位で初登場し、年明け1回目の放送となる1月9日から6週連続1位を記録。オリコンチャートでも初登場1位を獲得して、翌86年のシングル年間売上ランキング3位に食い込んだ。
大成功である。
だが、“2トップ”に褒められることはなかった。
「社長はレコードが出た頃には次のことに夢中になっているので、売れても気にしないんです。曲のことで褒められたことは一度しかありません」
その「一度」とは?
「SMAPが『夜空ノムコウ』(98年)を出した時です。社長が『鎌ちゃん、この曲いいよ。詞もメロもいい。SMAPが少年から青年に成長していく今のタイミングにぴったりね』と珍しく褒めてくれたんです」
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