「7月5日」予言で改めて注目集める「1999年7月」 『ノストラダムスの大予言』著者が口にしていた後悔の念

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「予言は外れた」という見方を否定

 従って、予言が外れた後も、五島氏が厳しく糾弾されるようなことにはならなかった。今なら炎上したかもしれない。

 しかし、なにせ累計250万部突破という人気シリーズだけに、「結局あの予言は何だったのか」という疑問は多くの人の心に残る。五島氏もたびたび見解を求められることになった。五島氏の人柄か、あるいはかつてルポライターをやっていたキャリアゆえの義務感からか、そうした取材にも誠実に答えていたようだ。以下は前掲記事から20年後の「週刊新潮」(2019年6月20日号)に掲載された記事である。

 ハルマゲドン(予定)から20年、現在の心境を問われると、

「1503年に生まれたノストラダムスは、予言詩を何冊にもまとめ、イエスの予言を引き継いだだけでなく、独自の予言も盛り込んでいます。人類の月面着陸や、現在のカードローンの登場なども予言しているんです。

 私があの本を発表した73年に関して言えば、米ソが一触即発で、核兵器を用いた第3次世界大戦が始まりかねない状況で、ベルリンの壁の両側にも、何百もの核兵器が準備されていました。“1999年に世界が終わる”という予言は、そうした世界情勢を言い当てていたんですね」

 予言は外れたじゃないか、といった見方を真っ向から否定していたのである。

「私はあの本に予言だけを書いたわけではなく、第1巻に『残された望みとは?』という章があります。ノストラダムスの大予言はキリスト教の体系下で書かれたもので、例えば東洋的な思想を持てば世の中は変えられる。私はそういうことも書いていたんです」

後悔の念も

 これだけ聞けば、さんざん脅かしておいて反省していないようにも見えるが、そんなことはない。五島氏は後悔の念も口にしている。

「親や先生から、“子供が読んで夜も寝付けなくなった”とか、“自分の命は99年までだと悩み始めた”とかの意見が届き、ショックを与えてしまったことに関しては、申し訳ないと思うようになりました。ただ、子供たちは最終章の『残された望みとは?』までは読んでいなかったし、後で聞くと、大人ですらあまり読んでいませんでした」

 ノストラダムスの残した詩が、五島氏の中でいつまでも「警世の書」としての輝きを保ち続けていたのは間違いない。

 その確信の強さが、一部の日本人の人生に影響を与えたのもまた事実。後編【「7月に火星人が攻めて来る!」「家族で山に避難!」 恐怖の「大予言」に踊った人、あおった人… 「2025年7月5日に大災害が起きる」予言で思い出す世紀末の狂乱】では、1999年、この予言で一儲けをたくらんでいた人、それに乗っかってしまった人たちの人生模様を見てみよう。

デイリー新潮編集部

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