伝説の女優「原節子」との仲を「小津安二郎監督」の身内はどう見ていたか…新進女優時代に“相思相愛”だった「4歳年上の助監督」とは引き裂かれ

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世間が沸いた小津監督との結婚話

〈原節子と小津さんの最初の出会いは印象的だった。原さんを見たとたん、ポーッと小津さんの頬が赤く染った。「節ちゃんて美人だなあ」小津さんはあとでそういった〉(蛮友社『小津安二郎――人と仕事』)

 とは一連の小津作品のプロデューサー、山本武氏の回想である。原節子との出会いは小津監督にとっても大きな意味があった。2人で組んだ作品は多くの映画賞に輝き、小津監督の代表作となったからだ。

「晩春」、「麦秋」、「東京物語」は原節子が演じる主人公の名前から、紀子三部作と呼ばれる。昭和26年9月、「麦秋」の撮影が終了した頃から、小津監督と原節子の噂が新聞などで盛んに流れ始めた。31歳の美貌の女優と、47歳のダンディーな映画監督。年は違うが似合いのカップルの結婚話に世間は大いに沸いた。

〈このところ 原節子との結婚の噂しきりなり〉

 と日記に記したのは、ほかならぬ小津監督だった。

〈そのお話でしたら、あたくし大変迷惑していますの。現在は、どなたとも結婚話は決っておりません〉(「朝日新聞」同年11月12日付)

 と、原節子自ら火の粉を払ったが、噂は決して消えなかった。昭和38年、小津監督が亡くなった時、通夜の席で彼女があたりはばからず号泣した、と伝えられた時、世間は妙に納得したものだった。

「噂だった」と振り返る助監督

「僕は小津さんと原さんが噂通りの関係なのか、気をつけて見ていましたよ」

 とは「小早川家の秋」の竹前重吉助監督(82)。この作品は東宝が、松竹の小津監督を招聘して撮ったものだった。

「衣装合わせに行った帰り、小津さんが原さんに“ウチに寄ってけよ”と言ったことがありました。原さんは“きょうはちょっと……。失礼します”と断りました。そんなことが3、4度ありましたが、結局、原さんは、小津さんの家に行くことはありませんでしたね」

 竹前助監督は、2人の関係をどう考えていいかわからなくなったという。

「ある日の撮影中に、原さんが立て膝をしていて、カットと言った瞬間、転んでしまったのです。転ぶ前にOKが出ていましたが、原さんは僕を呼んで、“小津先生に頼んでもう1回撮ってちょうだい”と言います。僕がそれを監督に言うと“OKだと言ってくれ”と言います。原さんに“大丈夫ですよ”と伝えましたが、その時、2人には何もないな、と確信しました。もしあったら、僕を介さないで直接言うと思います。噂だったんですね」

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