伝説の女優「原節子」との仲を「小津安二郎監督」の身内はどう見ていたか…新進女優時代に“相思相愛”だった「4歳年上の助監督」とは引き裂かれ
「結婚しようと思っていた」東宝の副社長
本当にないのか。
「小津の身近にいましたから、原さんとの結婚はありませんでしたね」
こう言うのは、小津ハマさん(80)。小津監督の実弟、信三氏の未亡人である。
「小津は常々、自分の意図する所を汲んでくれる、と原さんのことを評価していました。原さんもまた小津を尊敬していた。お互いが仕事を通じて認めあう関係だったと思いますね」
原節子と小津監督とはロマンスはなかった。では、彼女には他に胸を焦がすような恋はないのか。彼女が演じた紀子は、新たな世界へ飛び立っていったのに、生身の原節子には、何もなかったのか。
「東宝の藤本真澄副社長が、“節ちゃんと結婚しようと思っていたんだ”とポロッと白状したのを聞いたことがあります」
と言うのは、先の堀川弘通監督である。藤本副社長は名プロデューサーと知られ、独身を貫き、昭和54年に亡くなった。
もっとも、「スタッフの1人が原さんに“帰りの電車の切符を取りました。藤本プロデューサーと一緒です”と言うと、彼女は“あの人と一緒はいや”と言ったそうです」(東宝関係者)というから、藤本副社長の片思いだったのかも知れない。
戦前にあった切ない恋
他にも彼女との交際を公言していた男性がいた。
「“俺のカチンコに惚れた大女優がいたんだ。お前たちもそういうカチンコを打てるようになれ”と言っていたのが、古沢憲吾監督です。その大女優というのが原節子なんです」
とは東宝の元監督だ。古沢監督は加山雄三の若大将シリーズや、クレージーキャッツのクレージー・シリーズを手掛けている。
「“原節子と結婚する”と言っていましたが、熊谷監督の許しを得られなかったようです」(元監督)
そして実は、切ない恋があった。戦前の話である。
「清島長利という節ちゃんより4歳年上の助監督がいた。2人とも誠実で気が合ったのだと思います。相思相愛でした。ところが周囲が、将来を嘱望されている若い女優と一介の助監督の噂が立ってはマズイと、2人を割いてしまった。清島は東宝を辞め、その後は松竹に入ってシナリオ書きになったのです」(同)
“永遠の処女”に秘められたロマンスはあったのである。
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第1回【伝説の女優「原節子」が14歳で映画界入りを決めた“家庭の事情” 父の事業が行き詰まり“着たきり雀”だった少女時代】では、実家の隣人や幼馴染、小学校時代の同級生らが芸能界入り前の原節子を証言。そして大人気女優となった頃、若き堀川弘通監督を“うらやんだ”という驚きのエピソードが明かされている。
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