【セ・パ交流戦】若き日の「大谷翔平」が強制降板させられた試合も…普段とは違うチーム同士の対戦で起きた珍しいハプニング特集

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栗原監督は「あんな内容で大谷翔平は勝っちゃダメ」

 日本ハム時代の大谷翔平が、勝利投手の権利まであと1イニングという場面で強制降板させられる事件が起きたのが、2013年6月18日の広島戦だ。

 6月1日の中日戦でうれしいプロ初勝利を挙げた18歳の二刀流ルーキーはこの日、5番投手として出場。投手がクリーンアップを打つのは、1963年の阪急・梶本隆夫以来の快挙だった。

 だが、0対0の2回に右翼線二塁打で出塁した際に、三塁に残ったまま攻撃が終わり、肩慣らしが十分できなかったことが、投球に大きな影響を及ぼす。

 その裏、「1年目で二刀流に挑戦しているが、そんなに甘いもんじゃない」という松山竜平に右越え先制ソロを被弾。3回にも四死球をきっかけに無安打で2点を失った。

 これに対し、3点を追う日本ハムも、4回に3安打と2四球で一挙同点。5回にも無死満塁から大谷の遊ゴロなどで5対3と勝ち越した。この結果、大谷はもう1イニングを1点以内に抑えれば、プロ2勝目の権利を得るはずだった。

 ところが、この日の交流戦最終戦に勝利し、最下位からの捲土重来を期していた栗山英樹監督はその裏、大谷をライトに回し、宮西尚生をリリーフに送る非情采配を見せる。

「鬼のような采配だと自分でも思う。でも、今日はどうしても(勝って)借金5にする使命があった。本当は勝たしてやりたかったけど、あんな内容で大谷翔平は勝っちゃダメ。これを一生忘れるな。オレも一生忘れない」

 これも大谷は将来、世界的な大選手になると見込んだ指揮官の“親心”だった。

 5投手の必勝継投で7対4と逃げ切った試合後、高卒新人投手では1966年の堀内恒夫(巨人)、木樽正明(東京)以来のV打を記録した大谷は「大谷選手は頑張りましたけど、大谷投手は厳しかった」と納得のいかない投球を反省し、さらなる飛躍を誓っていた。

幻のランニングホームラン

 リプレー検証で確認できないという理由でランニングホームランがパーになったのが、中日・大島洋平だ。

 2019年6月6日のソフトバンク戦、8回に武山真吾の左中間ソロで4対4の同点に追いついた中日は2死後、大島が右越えに本塁打性の大飛球を放つ。

 打球はフェンスの一番上の部分に当たって跳ね返り、グラウンドを転々とする。この間に大島は俊足を飛ばし、三塁を回ると、一気に本塁を狙った。中継のセカンド・明石健志も懸命にバックホーム、本塁クロスプレーとなった。

 セーフなら勝ち越しのランニングホームランだが、土山剛弘球審の判定は「アウト!」。与田剛監督がリクエストを要求し、映像では大島の右手が捕手・高谷裕亮のミットをかいくぐり、本塁ベースをタッチしているように見えた。高谷の最初のタッチは明らかに空タッチで、2度目の左肩へのタッチも、大島がホームインしたあとで、間一髪セーフに見えた。

 ところが、審判団は「映像を見て協議し、全員の判断です。変更に値する確証を得られる映像がなかった」(小林和公責任審判)として、土山球審のファースト・ジャッジを優先。ランニングホームランは幻と消えた。

 この判定で流れが変わり、中日は4対6で敗戦。試合後も、与田監督は「オレはセーフに見えた。あのジャッジにビックリ」と納得のいかない表情だった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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