「66年ビートルズ来日」を仕掛けた“伝説の呼び屋” 「警察官8000人が動員された」武道館公演の舞台裏

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死去の約1カ月前に残した言葉

 コロナ禍以降、堰を切ったように来日する海外アーティストたち。万単位の観客を集めるビッグネームから通好みのライブハウス系まで、東京ではほぼ毎日「来日公演」が行われている。多様なジャンルの音楽に歓声を上げる日本は、いまや当たり前。その大きな礎となったのは、昭和41(1966)年のビートルズ来日である。

 音楽シーンのみならず、日本中に与えた衝撃はまさに“革命的”でもあった。この招聘を手掛けた内野二朗氏は、1962年に音楽プロモート会社「キョードー東京」の前身となる企業を設立した人物。国内外アーティストの公演開催に尽力し、業界の超大物となっても好奇心は衰えず、新しいコンセプトのプロジェクトにも積極的に関わり続けた。

 そんな内野氏が76歳でこの世を去ったのは、2004年6月15日のこと。その約1カ月前、内野氏は「週刊新潮」がかねて依頼していたインタビューに応じていた。数多くの伝説的な公演を手掛け、「人のやらないことをやる」という信念を貫き通した超大物の“呼び屋”は、最後に何を語ったのか。

(全2回の第1回:「週刊新潮」2004年7月1日号「ビートルズから3大テノールまで『大物呼び屋』内野二朗の遺言」を再編集しました)

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ビートルズ警備に警察から延べ8000人

「ビートルズはね、外部からは大変だったように見えると思うけど、実際にはそうでもなかったんですよ。警備は全部、警察がやってくれたんですからね」

 日本のポピュラー音楽の歴史について話を聞きたい、という本誌の求めに応じて、内野氏へのインタビューが実現したのは5月11日。気温が30度を超えた、真夏のような日の午後のことだった。

 ここで語っているのは、戦後の音楽史に残る大イベント、66年のビートルズ来日に関する思い出話である。

「警察はビートルズの警備のために、3日間で延べ8000人以上の人員を出したんです。事実かどうかはわかりませんけど、あれは警察の予行演習だっていう話もあってね。1960年の安保改定でアメリカの大統領秘書ハガチーが来日した時、羽田でデモ隊に取り囲まれて、ヘリコプターで脱出した。で、アイゼンハワー大統領の来日が中止になった。その失敗を繰り返さないためのシミュレーションだったんじゃないかというんです。そうじゃなければ、あれだけの警備をアーティストに出しますかね。警察が全部自分たちでやっちゃったんですから」

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