兄貴だった「長嶋茂雄」さん…よみがえる自主トレ同行の思い出と大切な教え 通夜の席で「丸 佳浩」に思わずかけた言葉とは【柴田勲のコラム】

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真っ赤に燃える太陽もいつかは沈む

 長嶋(茂雄)さんが亡くなられてから早くも1週間がたった。頭ではいないと分かっていても寂しいね。

 90歳まであと数カ月、せめてそこまではと思うのだが、真っ赤に燃える太陽もいつかは沈む。こう思うしかない。

 8日は告別式だった。私は4日から5日連続で通い詰めた。長嶋さんは私にとって兄貴のような存在だ。長嶋さんの運転手さんからも「柴田さん、毎日来てくださいよ」とも言われていた。私も最後まで一緒にいたかった。

 告別式では王(貞治)さん、原(辰徳)と松井(秀喜)、巨人OB会長の中畑(清)が弔辞を読んだ。それぞれの思い入れが伝わる、心に響いてくる良い弔辞だった。

 喪主を務めた三奈ちゃんが「パパらしいでしょ。私の誕生日に死んだのよ。待っていたのかな」と話していた。「パパは湿っぽいのはイヤだから、ニコニコしていてくださいね」ともお願いされた。

 亡くなった6月3日は三奈ちゃんの誕生日だった。長嶋家の代表として弔問者にてきぱきと対応し、立派なあいさつをしていた。

長嶋氏との忘れられない自主トレ

 私は長嶋さんに憧れて野球を始め、巨人に入団した。夢がかなってONと共にプレーしてV9を経験した。幸せだった。

 振り返ると私と土井(正三)ちゃんがものすごくかわいがってもらった。食事に連れて行ってもらったし、ゴルフも数えきれないほど一緒にやった。

 一番の思い出は1969年に伊豆・大仁で自主トレに同行させていただいたことだ。68年は右打者に転向した年で26本塁打したがしっくりこなかった。そこでお願いして1週間みっちり練習した。山ごもりだ。キャッチボール、ランニングをやって、バッティングを見てもらった。

 長嶋さんいわく、「大事なのは構え」だという。私の構えをチェックすると、「体が浮ついているなあ」と指摘した。「おへその下に力を入れてガッと構える。上体の力は抜く。オレはそうやっている」と話し、打席での構えの大事さを強調した。

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