東野幸治が見取り図に語った「芸人の天下取り」論とは 「アメトーーク!」に出るな

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

放送されないコント番組

 でも、最近ではこの方程式が崩れてきている。そもそもコント番組は数字が取れないと言われていて、なかなか放送されることがない。コント番組はお金も手間もかかるため、レギュラーでそれをやるのは割に合わないということになっている。

 そんな中で本気で「天下」を目指すのなら、独自の道を行く覚悟が必要だ。どんな番組でも呼ばれれば喜んで行く、というような姿勢であってはいけない、というのは納得できる。出演本数だけを重ねても、天下を取っていると言えるだけの「格」は身につかないからだ。

 翌週の6月1日深夜の放送回では、先週の続きとして東野が3箇条のうちの残りの2つを挙げていた。2つ目は「自分たちの責任にするな」ということ。自分たちのレギュラー番組が終わっても責任を感じることはない。テレビは作り手のものなので、自分には関係ないと思っているぐらいの方がいい、ということだ。

 3つ目は「この企画はやるな」。先輩を呼んで天下取りのためのアドバイスをもらうという企画をやること自体が、先輩に頭を下げていることになり、その姿勢では「天下」から遠ざかってしまう。これも1つ目の教えと同じで、自分たちのブランド価値を保つことを意識しなければいけないということだ。

 現代のテレビバラエティの世界では、出演する芸人に対して「周りと同じでなければいけない」という同調圧力がかかる。本気で天下を目指すなら、それをはねのけて自分たちのやり方を貫いて、その上で圧倒的な結果を出さなければいけない。

 バラエティ番組の企画に過ぎないとはいえ、多分に本音も含まれていたと思われる東野の語る天下論は、問答無用の説得力を持っていて、見取り図の2人の心にも刺さっていたようだった。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。