「あんぱん」ヒロインへの“苦手意識”は変わるのか 考え抜かれた脚本、のぶが見せた“変心”
のぶのモデルは意外な人物?
嵩のモデル・やなせたかしさんの実母・登喜子さんの歩みは登美子の足跡とかなり重なる。登喜子さんは1894(明27)年、高知県香美市の大地主の家に生まれた。1918(大7)年には同郷の清さんと大恋愛の末に結ばれる。清さんの役名と実名は同じだ。
清さんが朝日新聞の記者だったため、一家は東京で暮らした。だが、やなせさんの弟が生まれてから間もなく、清さんは単身赴任先の中国で病死してしまう。登喜子さんは茫然としたことだろう。シングルマザーが生計を立てるのは難しかった時代である。
その後、次男はドラマと同じく医師の義兄の養子になり、登喜子さんはやなせさんと高知市で暮らし始める。登喜子さんは自活を目指し、華道や茶道などを懸命に習った。それでも子供と2人で生きていくのは困難だった。
ドラマでは1935(昭10)年だった第15回、再婚相手と離婚した登美子が寛の家に転がり込み、寛の妻・千代子(戸田菜穂)に向かってこう言った。
「お茶、お花、お琴と一通りのことを身に付けましたが、女が1人で生きていくのは大変なんですよ」
登喜子さんも同じ思いだったのではないか。
登喜子さんは登美子と同じく、兄弟をともに義兄に託すことになった。義兄の家は裕福だったから、託すほうが兄弟のためになると思ったようだ。
やなせさんは登喜子さんを恨まず、2人は会い続けた。登喜子さんはやなせさんがちょっと有名になると、それを周囲にうれしそうに自慢した。登喜子さんは4回結婚したため、姓が変わっていたが、やなせさんは柳瀬姓で位牌をつくった。
ヒロイン・若松のぶ(今田美桜)のモデルはやなせさんの妻・小松暢さん。暢さんは「アンパンマン」のキャラクター・ドキンちゃんに似ている。やなせさんは著書でこう明かしている。
「ドキンちゃんはなぜか僕の母の面影があり、性格は妻に似ている」(『アンパンマン伝説』フレーベル館)
つまり、のぶはドキンちゃんに近い部分があるわけだ。ドキンちゃんは勝ち気で自己中心的。だが、明るく、やさしい面もある。
さらに、ドキンちゃんにもモデルがいる。名作映画「風と共に去りぬ」(1939年)の主人公のスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)である。やなせさんは著書『わたしが正義について語るなら』(ポプラ新書)でそう書いている。
スカーレットはやはり強気で自己中心的な人物。
しかし、困難に決して屈しない強い精神力を持ち、愛する人を命懸けで守ろうとする情熱がある。
スカーレットものぶと重なるところがあるのではないか。ドキンちゃんのイメージカラーとのぶの着物の色はスカーレット(緋色)である。オレンジに近い色だ。
「風と共に去りぬ」もそうだが、主人公が人格者とは限らない。それでもスカーレットは今も世界的に人気がある。
今、のぶを苦手とする向きも一部にあるようだが、脚本を書いている中園ミホ氏(65)は百戦錬磨だから、何か企みがあってのことだろう。
のぶは嵩が出征した第49回、7年ぶりに登美子に関わった。前回、関係したのは第15回である。離婚した登美子が御免与町に8年ぶりに現れたが、嵩とずっと音信不通だったことから、「今ごろ何しに戻ってきたがで!」となじった。母親と認めなかった。
今回は違う。登美子の嵩への言葉がとがめられ、憲兵たちが騒ぐと、「母親なら当然だと思います」と庇った。暗に母親だと認めた。機微を知ったためだ。
のぶの変心の背景には豪ちゃんこと原豪(細田佳央太)の戦死と婚約者の長妹・蘭子(河合優実)の深い悲しみがある。さらにヤムおじさんこと屋村草吉(阿部サダヲ)の壮絶な戦場体験を知ったせいでもある。
もう愛国の鑑ではない。それでも国民学校で国家主義的教育を行わなくてはならない。葛藤があるだろう。
なにより、国家主義的教育を行ってしまった過去は残る。とくに自分の胸の内からは消せない。苦しむことになるはずだ。
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