「単純な逆上がりでも他の子と動きが違った」 コーチが見逃さなかった「冨田洋之」の秘めた才能 “栄光の架橋”で金メダルを手にするまでを本人が振り返る(小林信也)
最後の演技者・冨田洋之が鉄棒を見上げ、演技を始めた時、NHKの実況担当・刈屋富士雄は叫んだ。
【写真を見る】しなやかに躍動する体から目が離せない… 「冨田洋之」の美しい体操
「日本が誇る最高のオールラウンダー。冨田が冨田であることを証明すれば、日本は勝ちます!」
2004年アテネ五輪の体操男子団体は、最終種目を残して、ルーマニア、アメリカ、日本がわずか0.1点差で首位を争っていた。
日本の種目は鉄棒。米田功、鹿島丈博が着実な演技で得点を重ねる。アメリカ、ルーマニアにはミスが出た。冨田が普段どおり演技すれば金メダルが手に入る。体操ニッポンと呼ばれながら1976年モントリオール五輪以来、日本は王座から遠ざかっていた。
28年ぶりの金メダルへ。運命を託された冨田は、米田らの演技を見ていて、激しい緊張に襲われた。
「代表に選ばれた時から、『最後の演技は冨田でいくから』と監督に言われていたので、役割は把握していました。練習でも精神的に負荷をかけて“その瞬間”に備えていました。ところがいざその場に立ってみると、想像と現実は全然違いました。負けたら日本に帰れない……、米田、鹿島の演技を見ていたら体がふわふわして、血の気が引いて、自分の体じゃないみたい。まずいと思って、見るのをやめました」
鉄棒に背を向け、ストレッチをするなど自分の体の感覚に意識を向けた。
「演技台の上に立って腕を回し体を動かしたら、いつもの感覚に戻っていた。この感じならいけそうだな、と思って演技を始めました」
最大の難関はスーパーE難度の手放れ技コールマンであることを冨田も周囲も分かっていた。運命の瞬間は中盤。両手を鉄棒から放し、冨田の体が上空に舞う。1回宙返り1回ひねり、そして、ガッチリ鉄棒をつかんだ瞬間、
「ものすごい歓声で鳥肌が立ちました。後は着地を止めて終わりたい」
フィニッシュに向けた大車輪に入ると、刈屋が再び力を込めて叫んだ。
「伸身の新月面が描く放物線は“栄光への架橋”だ!」
それはゆずが歌うNHK五輪中継主題歌の題名。実況に呼応するように、冨田がピタリと着地を決めた。やや前のめりだったが、踏ん張って動かなかった。
採点を見る必要はなかった。刈屋が「勝った、勝ちました!」と叫び、日本選手たちが抱き合った。冨田は右手を高く突き上げた。
[1/2ページ]