事件から21年「佐世保小6同級生殺害」 社会復帰した「11歳加害少女」の謝罪を待ち続ける「被害女児」実兄の“思い”
子育てをしたのは父親
少女が施設に入った後、私は半年にわたって彼女の父親への取材を続けた。
なぜ、あんな事件をおこしたのか。
その理由を父親に聞きたかったからだ。
少女の自宅は、小学校の先をさらに上った山の頂上付近にあった。人里離れた僻地(へきち)にあり、少女は学校でも数少ないバス通学だった。家庭環境は、苦しかったといわざるをえない。
父親は少女が生まれた直後に脳梗塞で倒れ、身体の自由が利かなかった。父親の代わりに母親が働きに出かけ、自宅にいるのは父親。子育ての中心は、父親だった。
私が会った当時、すでに一家は離散していた。父親だけが一軒家に残り、一人で暮らしていた。私は昼間の通常の取材が終わると、午後8時過ぎからその家に通った。父親と二人きりで、何度も何度も話を聞いたが、彼女が事件をおこした理由がわからなかった。
父親は、少女の異変にさえ気づいていなかった。
事件前日の晩も、父親は少女と会話していた。少女が読みたがっていた本を、ネットで買ったのだ。それは飲酒運転の事故に遭って、身体に麻痺を負った女性が再起するノンフィクションだった。
「amazonで注文した本が、もうすぐ届くよ」
そう伝えると、彼女はうなずいたのだという。
だが、その晩。少女はインターネットで怜美ちゃんの殺害方法を検索していた。
父親はその後、御手洗さんに月1回の頻度で謝罪の手紙を送っていたが、再び体調を崩し、病院生活を送るようになり、やがて音信が途絶えてしまった。
「無名」の成人女性として生きる少女
一方の加害少女は、その後、どうなったか。
彼女は施設内で小学校を卒業。その後、施設内の中学校(近くの中学の分校あつかいになる)に進学。義務教育を終えると、十代半ばで社会復帰した。
彼女の退所について、厚生労働省から遺族の御手洗さんには、何の連絡もなかった。
少女は名前を変え、ほとんど誰にも知られることなく、ひっそりと施設を去ったわけだ。
あれから歳月が過ぎ、彼女もすでに成人。
というより、もはや三十路を超えている。今や成熟した一人の女性として、私たちと同じ時代を生き、同じ社会で暮らしている。
亡くなった怜美ちゃんが12歳のままであることを思うと、歳月の残酷さを感じざるをえない。
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