86歳にして現役! 漫画界のレジェンド「ちばてつや」が明かす“色っぽいストーリー”を描けなかった理由は「母親から説教をくらいましてね(笑)」

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過酷な仕事から守ってくれた母

 引き揚げ後、東京に転居したちばさん一家。両親は乾物屋を始め、ちばさんも学業の傍らアルバイトで家計を支えた。ちばさんたち兄弟が漫画を読んでいると、静子さんはこう言ったという。

「漫画は駄菓子。栄養はないし、色を付けて美味しそうに見せているけど、虫歯にもなるしお腹も壊す」

 だが、両親とも体調を崩し、家族の生活を支えるために漫画家になることを決意したちばさん。まだ17歳の高校生である。「生きるため」には、好きな漫画しかなかった。それからおよそ70年――。少女漫画に始まり、数々の名作を世に送り出し、多くの少年少女の読者を夢中にさせてきた……。

「週刊誌連載は本当に大変です。そのせいか、漫画家は寿命が短いでしょう。手塚治虫先生が60歳、藤子・F・不二雄さんが62歳、石ノ森章太郎さんは60歳で亡くなっている。だから私も60くらいで死ぬんだろなと思っていました。私がそうならなかったのは、一緒に暮らしていた親が守ってくれたからでしょうね。私がトイレに入る。するとあまりにも眠いものだから、そのまま寝てしまうことがあるんです。編集さんが起こしに来ると『すみません、もう少し寝かせてやってください』と母親が言ってくれたものです。これは有り難かったですよ。でも、今、母親に文化勲章を頂いたよと言っても、信じないでしょうね。私だって信じられなかったんだから(笑)」

 実は、ちばさんは仕事仲間や編集者から「ちばちゃんの、もうちょっと色っぽい話、読みたかったなぁ」と言われることがよくあったという。しかし、ちばさんにはとっては、無理な相談だった。というのも、担当編集者よりも「怖い」存在が、ほかならぬ静子さんだったからだ。

「『のたり松太郎』で、松太郎が好きになった担任の女性の先生の家へ押しかける場面を描いたことがあるんです。もちろん、直接的な描写はないですよ。ところが、たまたまその回を読んだ母親が怒ってね。『てつや――っ!』って、すぐに呼び出されました(笑)。『こんな漫画を描いて恥ずかしくないの!』というので、これは大人の雑誌に載せる漫画だからといっても納得しない。30過ぎた私が、正座して母親から説教をくらいましてね(笑)。様子を見に来た編集さんが驚いていましたよ(笑)。でも、これがトラウマになったのか、どうしても色っぽいシーンは描けない。母親が亡くなったら大丈夫かなと思ったけど、やっぱり描けなかったですね(笑)」

 戦前戦後を通じて、静子さんはちばさんにとって「厳しい人」であると同時に、「強い人」でもあり、そして何よりちば作品の一番のファンだったに違いない。

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