未解決事件「長岡京ワラビ採り主婦殺し」 アリバイを調べられた207名の不審者 似顔絵を公表された怪しすぎる“40代の男”
姉さんかぶりの若者
京都府警は目撃者の情報を集める一方、管内の不審者207人をリストアップし、アリバイ調べなどで消去、20人ほどがリストに残っているところである(1979年6月5日現在)。むろん、B子さんの左胸に突き刺さっていた包丁の線も追跡中。
目撃証言もいろいろ寄せられた。
「35歳ぐらいの男が、山でいかがわしい雑誌を読んでいた」とか、「長髪で、タオルを姉さんかぶりにしたヒッピー風の男と、もう一人の男が、始終、山をうろついている」とか。
実は、この姉さんかぶりの若者(26)は、市内に住む大工見習。重要参考人として警察に呼ばれる見通しと、いくつかの新聞が(匿名ながら)大きく書いた。その結果、若者は大工の親方と向日町署にやって来、新聞記者と即席の”記者会見”をし、自分は事件当日、親方と一緒に宇治で仕事をしていたと強くアリバイを主張する一幕になった。
捜査当局の調べでは、事件の日、山から下りて来たのは11人。うち5人ほど、身元が特定出来ていない。同じく、下りて来た車は5台(注=この山に登る自動車道は山中で行き止まりになる。通過車はない)。一台だけ、まだ調べがついていない。
この山には、大阪方面からもワラビ採りに来る人が多い。また山の麓の造成地には、豊中市や、大阪・西成からも作業員などが送り込まれている。事件当日ここにいて、以後、ここに来ないもの(注=手配師によってよその飯場へまわされているだけかもしれないが)が10人。これもまだ、調べが終わっていない。どうやら万全の広域捜査体制が必要であるようだ。
***
事件から3カ月が経った8月、捜査本部は不審人物の似顔絵を公表(写真参照)。40代と見られるこの男は、事件の数日前、現場に近い山中で、ワラビ採りに来ていた主婦に、「採れますか?」と声をかけている。ウイークデーの昼間に、しかも山歩きにはふさわしくない格好でうろついていたという。その上、事件の1年ほど前に、包丁をちらつかせながらワラビ採りの主婦に声をかけた男と似ているともいわれていた。
しかし、その後も捜査は進展しなかった。遺留品は凶器の包丁だけ。そこから指紋は検出されなかった。包丁は岐阜県関市で作られた約7万本の1本と見られているが、販売ルートも解明されなかった。
そして事件から15年後の1994年5月23日、時効が成立。捜査本部は計3万人もの捜査員を動員したが、解決には至らなかった。ちなみに事件から5年後の1984年5月には、同じ長岡京市内で48歳の主婦が自宅で殺害、放火される事件が発生したが、こちらもやはり未解決で時効を迎えている。現場に残された血痕から、この犯人も血液型がO型だったことがわかっている。
「ワラビ採り殺人」から46年。犯人は今も生きているのだろうか。半世紀近くもの間、どのように息を潜めていたことだろうか。2人が絶命した山の周辺は宅地開発で様変わりし、発生当時は花が供えられていた現場には今、雑草が生い茂っているという。事件の記憶は薄れゆくばかりである。
【前編】では、犯行の詳細について記している。