「不合格を経験しすぎて、受かる自信はなかったです」 柔道世界女王・朝比奈沙羅が明かす3度目の正直で医学部に合格できた理由
2017年には女子柔道の世界無差別柔道選手権、2018年と21年には78キロ超級の世界柔道選手権を制した朝比奈沙羅選手は、東海大学卒業後の2020年に獨協医大に入学し、医大生として勉学に励んでいる。選手としての活動と並行しながらの受験期のエピソードや、合格を掴むまでの裏側を語ってもらった。(全2回のうち第2回)
【写真】「全ての目標を達成できるように精進していきたいです」と語る朝比奈選手の練習風景
大学入学・卒業することで増やせる選択肢もある
都内屈指の難関校である渋谷教育学園渋谷中学に入学し、高校までの6年間を過ごした朝比奈選手は、講道館杯や全日本ジュニア、世界ジュニアを制し、日本柔道界を背負う期待の若手選手として注目を集めた。
両親が医療従事者で「父の影響で、小さい頃から医師を夢見ていた」と話す朝比奈選手は、多忙な中で医学部を受験したものの、力は及ばず。高校卒業後は、柔道の名門としても知られ、多くのオリンピアンを輩出してきた東海大学体育学部に入学することになった。
「幼い頃から思い描いた医師になる夢は微塵も諦めてなかった」朝比奈選手だが、東海大学へ入学後は「一生付き合っていくことになりそうな素晴らしい仲間と出会い、入学して良かった」と胸を張れる4年間を過ごした。
講道館杯4連覇や、グランドスラム・東京の初制覇を成し遂げた大学2年(2016年)からは「大学4年間で何かを得て卒業した方が良い」という恩師のアドバイスを聞き入れて、卒業に必要な単位外である教職課程に2年生から進み、保健体育課の教員免許も取得した。
「教員免許を取得して人生の幅も広がりましたし、教育実習に行かせてもらった経験は、今の私にとって大きな財産になっています。本当に良い選択をしたなと思います」と、朝比奈選手は周囲への感謝を述べる。
世界制覇と医学部合格を目指した日々
充実した学生生活を過ごす朝比奈選手が、2度目の医学部挑戦に向けて動き出したのは、大学生活3年目を迎えた2017年のことだった。
この年は4月に全日本女子柔道選手権を制覇。9月の世界柔道選手権大会(78キロ超級)は準優勝に終わったものの、11月の世界無差別柔道選手権大会では優勝を勝ち取った。東海大学は124単位取得が卒業条件であって、大学3年生の夏の時点で85%以上単位取得をしており、必修講義の出席スケジュール調整が可能となったこの頃から、在学中に医進系予備校へ通い始めた。
大学4年(2018年)の4月には、柔道活動と医学部への進学を見据えてパーク24へ所属することに。米国の大学生トップアスリートが在学中にプロ選手となり、大学選手権出場や奨学金給付を辞退しなければならないことは全米大学体育協会(NCAA)でルール化されているが、本邦の現役の大学生が実業団柔道チームに所属するのは極めて異例かつ、初めてのケースであった。一部メディアからは、「朝比奈沙羅が東海大学柔道部を退部した」「大学の稽古にも出ていない」「大学との方針の違いがあった」など、事実とは異なる憶測が報道されたこともあった。そうした誤解にも動じることなく、朝比奈選手はNCAAの方針を率先して見習い、自らの意思で大学選手権出場と奨学金給付の辞退を決断。その上で、パーク24の支援の元、朝比奈選手は環境の変化をものともせずに柔道と勉強に邁進した。この年9月に行われた世界柔道選手権では、オール1本勝ちで初優勝を飾ったが……。柔道家として第一線を走り続けながらの医学部受験には、さまざまな困難が伴った。
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