「これは事件にならないよ」「男と女の問題だから警察は立ち入れない」 最悪のストーカー殺人を引き起こした警察の信じられない対応

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 5月28日、川崎市内の女性死体遺棄事件で逮捕されていた容疑者を神奈川県警は、ストーカー規制法違反の疑いで再逮捕した。遅きに失したとの見方が強いが、このいわゆる「川崎ストーカー事件」を巡っては、警察の対応への批判的な意見と共に、被害者側に対して厳しい意見もある。もっときちんと被害を訴えなければ警察は動けなかった、自分の身は自分で守ることも大切だなどなど。

 刑事事件の場合、そして新聞やテレビのような記者クラブ加盟社が伝える場合、往々にして警察側の視点が情報のメインとなる。従って、仮に警察に落ち度があったとしても、それが薄められることは珍しくない。

 被害者側にミスがあったとしても、殺人を「仕方がない」と片付けることが許されないのは言うまでもないが、そもそも今回の事件についても、広まっている情報がどこまで本当なのか、警察側に都合の良い情報が強調されていないか、という視点は必要だろう。

 1999年に起きた「桶川ストーカー事件」では、警察側が意図的に「被害者にも問題があった」という情報を流していた。さらに警察は自分たちの失態を隠すための工作を積極的に行っていたのである。

 結果、この事件で警察よりも早く犯人グループの特定と撮影に成功したのが、写真週刊誌「FOCUS」の取材チームだった。担当した清水潔記者は、被害者の友人からの訴えを聞き、警察の対応に憤りと不信感を抱く。それがこの調査報道の原動力となったのだ。

 当時、何が起きていたのか。酷過ぎる警察の対応は、現在のさまざまな事件報道を読む上でも知っておくべきことだろう。清水氏の著書『騙されてたまるか 調査報道の裏側』をもとに見てみよう(以下、同書をもとに再構成しました)

(前後編記事の前編:後編は【「ニセ刑事」説まで捏造してストーカー被害者を叩いた警察の罪 被害届を取り下げさせようとした理由とは】

 ***

「遺言」

 1999年10月、JR高崎線桶川駅前。

 人が行き交う白昼の歩道で、女子大生の猪野(いの)詩織さん(当時21)が刺殺されるという痛ましい事件が起きた。現場ではナイフを握った小太りで短髪の犯人が目撃されたが、そのまま逃走する。

 当時、写真週刊誌「FOCUS」の記者だった私は、この事件の取材に当たった。

 捜査を担当する埼玉県警上尾(あげお)署で名刺を差し出せば、一瞥した副署長は、首を傾げて言った。

「記者クラブに加盟してなければ、取材には応じることはできませんね……」

 官庁や警察などには、大手マスコミ(主に新聞社、通信社、テレビ局)が加盟する記者クラブというものがある。庁舎内に記者室が設けられるなど取材の便が図られている一方で、非加盟者である週刊誌記者などお呼びではない。「クラブに属していない」というだけの理由で取材拒否されることも日常茶飯事。予期していた反応とはいえ、釈然としないまま現場に戻った。

 皮肉にもこれが「調査報道」の入り口になったのだが、当時はもちろんそんなこと知る由もない。

 事件現場は、駅前ロータリーの一角の歩道。煉瓦のブロックが並べられたその場所には、警察官やマスコミ、野次馬が集まっていた。

 手を合わせた私は立ち尽した。

 いったい何を取材すればよいのだろうか──。

 現場にはいくつもの花束が手向けられていた。被害者詩織さんの死を悼む人たちが次々とやってきては、手を合わせ、花をささげている。私は彼らに挨拶をしては、名刺を渡し、詩織さんの知人を探した。取材を嫌がる人ももちろん多い。しかし中には何か言いたいことがある人もいるはずだ。そう信じて闇雲に声を掛けるうちに、私は詩織さんと親しかったという二人の男女と知り合うことができた。

 スーツ姿の男性は大人しそうな人で、島田さん(仮名)といった。もうひとりの陽子さん(仮名)は、流行のファッションに身を包んでいた。挨拶をしている間も、二人はしきりに周囲を気にしていて、何かに怯えている様子なのだ。私は、彼らをカラオケボックスに案内することにした。ここならば周囲に気を使う必要はない。

 シートに腰掛けようとした直前、島田さんはいきなり訴えた。

「詩織は小松と警察に殺されたんです」

 意外な言葉にフリーズする私。島田さんは続ける。

「小松はストーカーなんです。詩織は全てを話してくれていました。彼女は僕たちにこう言い遺して死んでいったんです。『私が殺されたら犯人は小松』って……」

 握りしめた彼の手が、膝の上で小刻みに震えていた。隣の席では陽子さんが無言で頷いている。複数の男たちが半年間にもわたり、詩織さんを脅して嫌がらせを続けたというのだ。島田さんは、ストーカーの名前や特徴、知り合った日付から、行動がエスカレートしていくまでの詳細な経緯をメモに残していた。詩織さんに「メモしておいて」と頼まれたのだという。

「詩織は小松からこう言われました。『おまえは2000年は迎えられない』『俺は自分では手を下さない』って。本当に怯えてました。彼女は上尾署に告訴までしたんです。けれど警察は動いてくれなかった」

 そして彼女は本当に殺された。

「警察に殺された……」というのはそういう意味だったのだ。

 そして、彼らはそのストーカーを心底恐れていた。

「詩織が小松と出会ってしまったのは、1月6日のことだったそうです……」

豹変

 この日、詩織さんは女友だちと大宮駅近くのゲームセンターにいた。プリクラを撮ろうとしていたのだが、機械の調子が悪く困っていた。そこへ「どうしたの?」と見知らぬ男二人が、声を掛けてきたという。

 優しそうに笑う長身の男は、「小松誠」と刷られた名刺を差し出し、車の販売をしていると自己紹介した。小松は詩織さんをひと目で気に入ったらしく、「カラオケでも行かない?」と誘ったという。4人はカラオケボックスで歌い、帰りに電話番号の交換をした。どこにでもありそうな若者たちの出会いだった。

 小松と詩織さんは、2ヶ月ほど付き合うことになる。

 ドライブやディズニーランドにも行ったという。自称・青年実業家は詩織さんにプレゼントをするのを好んだ。最初は、300円程度のぬいぐるみだった。しかしそれが段々とエスカレートして、バッグや服など高価なプレゼントを押し付けるようになる。過熱するプレゼント攻撃に詩織さんが不安を覚え、断ると「俺の愛情表現なんだ。どうして受け取れないんだ!」と怒鳴ったという。

 次第に詩織さんは男の様子のおかしさに気づき始める。

 小松はポケットにそのまま札束を入れていた。いつもカメラを持ち歩き、突然に詩織さんの写真を撮る。車の運転は乱暴だった。ある時、車内に置かれていたカードを何気なく見ると男の名前が違っていた。「誠」は偽名だったのだ。

 池袋のマンションに行ったことがあった。その部屋は、あまり生活感がなかったという。やがて隠しカメラがセットされていたことに詩織さんが気づく。

「なんでカメラがあるの?」と尋ねると、小松は顔色を変えた。

「うるせー、俺をなめとんのか!」と怒鳴り豹変した。壁にもたれていた詩織さんの顔すれすれに拳を繰り出し、そのままの姿勢で壁をダンダンダンと叩き、絶叫したという。

「お前は俺に逆らうのか。今までプレゼントした洋服代として100万払え。払えないならソープに行って働いて金を作れ。今からお前の親のところに行くぞ!」

 詩織さんは大好きな両親に、こんな男と付き合ってしまったことを知られたくなかった。その日を境に、詩織さんの生活は小松によってがんじがらめにされていく。

 小松は嫉妬深かった。ひっきり無しに電話がかかってくる。

「どこで何をしているんだ!」

「男と一緒なんだろう?」

 番号を教えていない自宅にまで電話がかかってきた。たまりかねた詩織さんが、別れてほしい、と切り出したのは一度や二度ではなかったという。しかし男は脅しをエスカレートさせるだけだった。

「別れると言うなら、お前を精神的に追い詰めて天罰を下す。親父はリストラで一家は崩壊だ。俺を普通の男と思うな。俺の人脈と全財産を使ってでも徹底的にお前を叩き潰す。いいか俺は自分では手を下さない。金で動く人間はいくらでもいるんだ」

 見知らぬ男たちから尾行されたことがあった。詩織さんしか知らないはずの行動を、小松がなぜか知っていたことも。詩織さんの男友だちを調べて電話をかけては、〈詩織に近づくな。俺の女に手を出すな。お前を告訴するぞ〉と凄んだこともあるという。

 詩織さんは徹底的に脅された。

「前に同棲した女はさあ、自殺未遂したんだよ。ちょっとお仕置きしたら、頭がおかしくなっちゃったんだ」

「何をしたの?」

「それは教えない」。そう言ってニタリと笑った。

 ある日のこと、正座させられていた詩織さんの前に小松がナイフを置いた。

「俺のことが本当に好きなら自分の腕を切ってみろ」

 支離滅裂だった。獣のように叫び、荒れ狂い、突然家具を蹴飛ばして暴れたこともあった。ある時はバリカンを買ってきて、「これから儀式をやる。お前を丸刈りにする」と言い放った。その日は脅しだけだったが、詩織さんは後日島田さんたちにこう語った。

「丸刈りであの人と別れられるなら、喜んでなろうと思った」と。詩織さんはそこまで追い詰められていたのだ。

 けれど限界だった。

 6月、詩織さんは小松に対し「別れたい」とはっきりと告げた。恐怖と戦いながら自分の意志を伝えたのだ。

 小松は心底怒ったという。

「俺は裏切るやつは絶対に許さない」

 その日のうちに、小松と2人の仲間が詩織さんの自宅に乗り込んできた。うち一人は後に逮捕される小松の兄だったのだが、小松の上司と名乗った(実際は消防士)。

「小松が会社の金を500万ほど横領したんです。お宅のお嬢さんにそそのかされたと。私たちは娘さんを詐欺で訴えます。誠意を見せてもらえませんか」

 詩織さんの父親が「話があるなら警察に行こう」と応じると、男たちは「このままじゃ済まないぞ、覚えておけ」と捨て台詞を吐いて出ていった。

 詩織さんは、両親には言えなかった小松とのことをようやく話し始めた。家族で話し合った結果、警察に相談することにした。

絶望

 翌日、詩織さんは母親と埼玉県警上尾警察署に出向く。

 詩織さんは、家に乗り込んできた男たちの声をとっさに録音していた。それ以前に録音した小松との電話のやりとりもあった。そのカセットテープを刑事に聞いてもらい、これまでの経緯を説明した。自分のプライバシーも伝えねばならず気は重かったが「助けてください」と強く訴えた。ところが対応した刑事たちは冷たく言ったという。

「ダメだね。これは事件にならないよ」

「プレゼントもらってから別れたいと言えば、普通怒るよ男は。あなたもいい思いしたんじゃないの? 男と女の問題だから警察は立ち入れないんだよ」

 テープは一応預かるというが、だからといって警察が動いてくれるとは思えなかった。詩織さんは、小松から贈られたプレゼントの全てを男のマンションに送り返した。

 その頃から、詩織さんに対する組織的ないやがらせが始まったのである。

 7月に入った雨の朝のことだった。

 家の周りに、大量の黄色いビラが貼られていたのだ。そこには詩織さんの名前と3枚の写真、そして“WANTED 天にかわっておしおきよ!!”という大きな文字とともに誹謗中傷が書かれていた。母親が一枚ずつ剥がして回ったが、同じチラシは詩織さんが通う大学の近辺や駅構内にまで貼られた。一人の仕業とは思えなかった。

 あまりのことに詩織さんはついに「告訴」することを覚悟して上尾署へ向かう。

 ところが対応した刑事はこう言った。

「よーく考えた方がいいよ。全部みんなの前で話さなくてはいけなくなるし、時間がかかるし、面倒くさいよ」

 警察が何もしてくれないうちに、事態は悪化の一途をたどる。

 今度は都内で彼女の写真入りのカードが多量にばらまかれたのだ。“援助交際OK”というメッセージと、詩織さんの自宅の電話番号が刷られていた。続けてネット上にも同様の書き込みがなされたという。いやがらせはエスカレートする一方で、気の休まる間はなかった。家の前に車が止まるだけで、詩織さんはカーテンの隙間から外の様子を窺い、電話の着信音に恐怖する。眠れない夜が続き、「おまえは2000年は迎えられない」という小松の言葉が耳から離れない。

「証拠がないから動けない」と言うだけの警察に動いてもらうには、やはり刑事告訴しかない。しかしその上尾署に通っても「今試験中でしょ。試験が終わってから出直して来ればいいのに」とのらりくらり。なぜこんなにも消極的なのか。話を聞いた島田さんは、詩織さんにこうアドバイスした。

「『このままでは殺される』と言って警察に座り込んででも助けてもらえ」

 詩織さんが渋る警察を押し切って告訴したのは7月29日のことだった。被疑者不詳の「名誉毀損」だったが、ようやく受理されて詩織さん一家は安心した。これで捜査をしてもらえる……。ところが、警察はそれでもほとんど動かなかったのだ。

 8月には、父親の会社宛てに1000通を超える匿名の手紙が届いた。内容は父親と詩織さんを侮辱するデタラメなものだった。

〈御社の猪野は堅物で通っているが、実はギャンブル好きで、外に女がいる……この娘のせいで会社の金が横領された。御社のような大企業がこのような男を雇っているのは納得できない……〉

 翌日、父親が手紙を持って上尾署に行くが、担当の刑事はそれを見て笑って言った。

「これはいい紙使ってますね。手が込んでいるなあ」

 詩織さんは、「お父さんがかわいそう」と落ち込んでいたという。

 それだけではなかった。肝心の告訴の方も、おかしなことになってくる。

 9月21日頃、猪野家に刑事がやってきてこう言ったという。

「あの告訴を取り下げて欲しい」

 その理由はわからない。「告訴するなら、またすぐにできますよ」などと続けた。対応した母親はきっぱりとそれを拒絶したが、それを聞くと詩織さんはすぐに小松の口癖を思い出した。

「俺は警察の上の方も、政治家もたくさん知っている。できないことはないんだ」

 警察のあまりにもやる気のない姿勢に、詩織さんは絶望した。

「これはもうしょうがないよ。私、本当に殺される。やっぱり小松が手を回したんだ。警察はもう頼りにならない。結局何もしてくれなかった。もうおしまいだよ……」

 寂しそうに友人たちに心の裡(うち)を吐露した。

 そして詩織さんは殺害されてしまった──。

 どこかでだれかの歌声が響くカラオケボックス……。

 島田さんと陽子さんの二人は、全てを私に話し終わるとその場で号泣した。

 その日、詩織さんの言葉が「遺言」となって私に廻ってきたのだ。以後、私は彼女が遺した言葉を道標に、長い取材を重ねていくことになる──。

 ***

 友人たちの話をそのままうのみにして報じるわけにはいかないため、清水氏は裏取り取材を進めた。結果、それらに嘘や誇張は含まれていないことが分かり、誌面を飾ることとなる。が、それでも警察はこうした事実を認めようとはしなかった。記者クラブには被害者の「派手な生活」をリークし、自業自得との印象を広めた。それどころか、「告訴取り下げ」を求めたことはない、とまで主張したのだ。後編【「ニセ刑事」説まで捏造してストーカー被害者を叩いた警察の罪 被害届を取り下げさせようとした理由とは】では、この大嘘が暴かれるプロセスを見てみよう。

デイリー新潮編集部

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