「女性天皇」と「選択的夫婦別姓」に共通する課題 「伝統」を重視するのか「変化」を受け入れるのか
宇多田ヒカルの歌が話題
「令和何年になったらこの国で夫婦別姓OKされるんだろう」
国境をまたいで活躍する歌手の宇多田ヒカルが5月2日に配信リリースした新曲「Mine or Yours」の歌詞だ。この一節はあっという間に若者を中心にSNSなどで話題が沸騰。賛否は分かれたが、夫婦別姓への関心の高まりが窺えた。
他方で愛子天皇待望論も依然としてくすぶっている。天皇皇后両陛下の長女・敬宮愛子さまは、皇族であるためにそもそも戸籍がない。代わりに皇統譜という帳簿に名前が記載されている。皇統譜は天皇皇后が記載された大統譜と、ほかの皇族が記載された皇族譜の総称で、愛子さまにはご両親と同様に名字はもちろんない。
子供の頃は学校の先生から「敬宮さん」と名字のように呼ばれていた。それは秋篠宮家の次女・佳子さまも同じで、佳子さまは秋篠宮が名字の代わりになっていた。細かく分類すると敬宮は称号で秋篠宮は宮号なので事情は異なるが、皇室制度上の意味付けはともかくとして名字がない以上、どちらも代わりになってきたわけだ。前出の中央省庁現職幹部はこう指摘する。
「元々、名字のない愛子さまと、結婚したことで親から受け継いだ名字を失った一般女性。背景は全く異なりますが、一般男性が生まれてからずっと同じ名字でいられる状況とは、明らかに異なるという共通点もあります」
振り返れば女性天皇を可能にする制度改正が決まりかけたのは、2005年末から06年初めにかけてのこと。小泉首相(当時)の私的諮問機関として立ち上がった有識者会議が05年11月24日に「女性天皇を容認すべき」とする最終報告書をまとめ、06年1月20日に召集された通常国会に皇室典範改正法案を提出するため政府は動き出した。だが直後の2月7日に秋篠宮妃紀子さまの妊娠が発覚。9月6日に悠仁さまが無事誕生されたことで、制度改正は立ち消えとなったことはよく知られる。
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