「ものづくり大国・日本」を衰退させた大きな原因…「リーマンショック」「東日本大震災」よりも現場を激変させた“2004年の出来事”とは
モノづくり大国返り咲きに必要なこと
日本のものづくり現場の衰退は、ひとえに経営陣らの「30年前の技術へのおごり」、そして「現場のブルーカラーを大事にしてこなかったツケ」だと感じる。
2008年ごろに起きた「大手の工場海外移転」に対する影響は、下請けを見殺しにするだけではなかった。現地で雇った人材に、これまで日本国内で培ってきた多くの技術を漏らしてしまったのだ。
筆者の工場には、時折大手の取り引き先が大勢の外国人労働者を連れて見学に来ることがあった。名目は「取り引き先への環境調査」だったが、毎度彼らの目線は手元の書類ではなく、「現場で使用していた専用工具」と「職人の手元」にあった。
そんな経験から冒頭のような日本の陥落ぶりをみると、自業自得に思えてならない。
父の町工場を閉鎖してから約10年――。世界ではコロナが蔓延した。
リーマン以降、海外工場を積極的に稼働させ続けていた各メーカーは、現地の感染拡大によって工場が閉鎖され、部品が日本の組み立て工場に入ってこなくなった。
当然製品は完成されず、納車・納品が半年以上先になるようなケースが発生した。
その後起きたのが、リーマンで日本を出ていった企業の「国内回帰」だった。
リーマンで「不景気だ」「円高だ」と、さようならもろくに言わず海外へ工場を移し、国内の高品質な技術よりも小手先の人件費を取った各メーカーが、散々現地に日本の技術を垂れ流した後、「海外に工場はまずい」「今度は円安だ」と帰ってくる――。
当時、日本に取り残され静かに廃業した身として今できることは、そんなメーカーたちに最大限の皮肉を込めて「お帰りなさい」と言うことぐらいだ。
なかでも自動車という乗り物は、約4000種類、3万点もの部品からできている。それはいわば、「製造ライン」という運命共同「帯」に乗った多くのエンジニアや職人らが、その技術と努力をもちより造り上げた「結晶」だ。
今回の日産工場にも、多くの現場作業員がいる。たくさんの下請け企業が取り引きを終了していることに鑑みると、すでにサプライチェーンにも影響していることが分かる。だが、現場の作業員を切り捨てること、取り引き先と手を切るというのは、その労働者の人生を奪うこと、さらに、製造業においては国の未来を捨てることとも、もはや同義だ。
今や明日の職を探す人たちにとって、派遣制度がセーフティネットになっているという難しさもある製造業。今後は、手元の書類の数字だけで判断するのではなく、ものづくり大国への返り咲きのためにも、そして、日本の雇用を守るためにも、もっと現場で働く労働者を大切にしてほしい。
昨今の報道を見てそう思わずにはいられないのだ。
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