陸上日本代表からシャインマスカット農家に転身! 木村和史さんが語った1年目の“やらかし” 「100万円近い損害が」
デビュー早々の「やらかし」
国体で優勝するなど活躍し、21年、五輪代表を決めるレースに挑むが敗北。陸上の応援もここまでと思ったのか、母親が思わぬ情報を教えてくれた。
〈友だちの父親がシャインマスカットを栽培していたんだけど、高齢で引退するらしい。農地を継承してくれる人を探しているよ〉
木村さんは迷わず手を挙げた。会えば、ブドウ作り60年、シャインマスカットも10年の大ベテラン。教わるにはこれ以上の人はいない。ただ、「ワシは60年前からの古いブドウの作り方しか知らん」と、最近の栽培法をフォローしていないことをほのめかすので、その点は農業大学校で1年間勉強することになった。
23年3月に卒業、6棟のハウスを譲り受け、師匠について栽培することになったが、デビュー早々やらかす。「摘粒」である。
「100万円近い損害を出し……」
春の開花後に実をつけるのだが、そのまま放置すると1房あたり200粒もつき、個々の粒が小さくて商品にならない。間引いて40粒ほどを残す「摘粒」の作業を施すことで一粒一粒が大きくなる。が……、
「いざやると、どれを落とすべきか皆目見当がつかないんですよ。分からんままやってると落とし過ぎてしまった。大きくなり過ぎて皮が破裂してしまうのもあり、そのときは100万円近い損害になったはずです。師匠に謝っても〈あー〉というだけで怒らない。それがかえって怖くて」
2年目の昨年は、カビの一種である「うどんこ病」をまん延させる一歩手前という危うい経験をした。
6月上旬のことだった。
枝に広がるうどんこ病を発見したのは師匠だ。前日、木村さんはチェックしたのに見落としていた。
「後日農協の人に聞くと、この病気は一房に発症しただけで一夜にして枝全体に広がり、胞子により倍々で拡大する。3日後には棟全体の作物を全滅させてしまうこともあるという怖い病気だったんです」
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