陸上日本代表からシャインマスカット農家に転身! 木村和史さんが語った1年目の“やらかし” 「100万円近い損害が」

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【全3回の第2回】

 日の丸を背負い国際舞台で戦った日本代表たち。栄えあるトップアスリートはなぜ農業を始め、なにを好き好んで新たな大地と格闘しているのか。ノンフィクション・ライターの西所正道氏が、土にまみれ、自然の営みに翻弄される3名の事情と日常と首尾に迫った。第2回では、陸上4×400メートルリレーで日本代表として2017年の世界陸上選手権に出場した木村和史さん(32)にお話を聞いた。

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 第1回【「米農家の呪縛というか、使命感で」「休みは年に1週間」 元男子バレー日本代表監督・中垣内祐一さんが50代半ばでコメ農家デビューした理由】では、元男子バレー日本代表で代表監督も務めた中垣内祐一さんにインタビュー。50代半ばでコメ農家デビューした理由や、コメ作りの志などについて語ってもらった。

 木村さんも、中垣内さんと同じく家業を受け継いだというが、違うのは、親が栽培するホウレンソウなどを受け継ぐだけではなく、シャインマスカットに一から挑戦した点だ。

 香川県丸亀市、木村さんはトラックに乗って現れた。ナンバーは「20-20」。もしやと思い聞くと、

「そうなんです。東京オリンピック出場を期待した父が、わざわざつけたナンバーで。かなわなかったんですけどね、お恥ずかしい」

農学部を目指したが失敗し、陸上を継続

 高校の陸上部時代、400メートル走でインターハイに出場するなどして才能の片鱗を見せるが、当人はずっと農業をやりたくて、国立大学の農学部を目指した。

「両親の影響ですね。学校の参観日には二人で来てくれるし、雨で畑仕事ができなくなると学校に電話してきて“パンダを見にアドベンチャーワールド(和歌山県)に行こう”と(笑)。その自由さがたまらなく好きでしたね」

 しかし農学部受験は失敗。陸上部から誘いがあった環太平洋大学に進学した。卒業したら今度こそ農業をしようと思っていたが、U-20世界選手権代表に選出。さらにオリンピックが東京で開かれることが決まる。

「親は“農業ならいつでもできる”と陸上推しなんです。そうかなと思い、四電工陸上部に入部して五輪を目指すことになりました」

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