【べらぼう】福原遥演じる花魁「誰袖」 小芝風花「瀬川」より強烈だった人生の結末

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身請けしてくれた客は斬首に

 土山宗次郎は実際、吉原でかなり豪遊していた。戯作者として名高く、本職は幕府の御家人である大田南畝とつるむことも多かった。そのための費用は、勘定組頭の職務にからんで手にした不正な金だったといわれる。結局、天明6年(1786)8月、10代将軍家治の死とともに田沼意次が失脚すると、しばらくして、宗次郎には公金横領の嫌疑がかけられる。誰袖を身請けして、およそ3年後のことだった。

 宗次郎は行方をくらまし、しばらく戯作者の平秩東作の庇護のもと、武蔵国所沢(埼玉県所沢市)に潜んでいた。東作は宗次郎の指示のもと、蝦夷地の調査を行っており、その関係があってのことだろう。そのとき宗次郎は誰袖を連れていたようだ。1,200両で買い取った女性を、それなりに大事にしていたのだろう。

 しかし、結局は発見され、天明7年(1787)12月5日、切腹することも許されずに斬首された。その後、誰袖がどうなったのか、記録はまったく残っていない。『べらぼう』で彼女が望んだように蔦重が身請けしていれば、もう少し幸せになれただろうか。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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