「今日はしゃべるぞ!」 板東英二が目を丸くした「寡黙で不器用な俳優」の“陽キャ”な一面

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 コラムニストの峯田淳さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている峯田さんが俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返ります。第17回は日本映画を代表する名優、故・高倉健さんです。寡黙で物静かなイメージの強い健さんですが、意外な一面があったとか……。

温泉旅館にあった健さんの色紙

 今から30年ほど前、「天の声」が降りてきた。

「天の声」とは、新聞社の社長から編集局に年に何回か回ってくるプランシートのこと。その中に「噂の温泉芸者」という、意表を突く連載企画があった。

「何、これ?」

 と誰もが首を傾げた。ところが、そう思ったのと同時に、なぜか「担当は峯田しかいないな」と意見が一致して、みんな笑っていた……。

 という経緯で、連載を担当することになった。第1回で向かったのは長野・善光寺のお膝元、戸倉上山田温泉。温泉芸者の話を聞き、着物姿や入浴シーンを撮影するのだが、快く引き受けてくれたのは藤奴さんという芸者。協力してくれたのはT旅館だった。

 部屋に案内してもらいながら館内を見ていたら、ふと目に留まったのが「高倉健」の色紙。女将さんに「健さんが泊まったことがあるんですか」と訊くと、何度か宿泊しているという。そしてその時の様子をこう話してくれた。

「お茶やお食事を部屋にお持ちすると、あの健さんが賑やかに談笑していました。ところが、『失礼します』と部屋に入った途端、声がピタッと止むんですよ。見ると、そこには映画で観るのと同じ、引き締まってキリッとした表情の健さんがいらして……」

 その話を聞いた時、高倉健は本当は陽気で気さくな人なのかと、銀幕の大スターの意外な素顔を垣間見る思いがした。

 高倉が善光寺詣りを始めたのは59年。著書『あなたに褒められたくて』(集英社)にはこう書いてある。

〈祖先の霊とぼくの魂とが呼び合っていたのかもしれない。宅子おばさんとぼくが、善光寺を通して結ばれていた〉

 宅子(いえこ)は父方の何代か前のおばあさん。善光寺を通してつながった祖先との縁を知り、高倉は善光寺詣りを続けた。そしてT旅館に宿泊したのだろう。

 高倉は2014年11月に死去しているが、「僕のこと、書き残してね」といわれた高倉の養女・小田貴月が19年に上梓した『高倉健、その愛』(文藝春秋)の序章にこうある。

〈天真爛漫で、ガラスの心をあわせもつ天邪鬼な少年。寡黙で饒舌……。〉

 任侠ものはじめ、「八甲田山」や「南極物語」、「幸せの黄色いハンカチ」など数々の名作をこの世に残した高倉は、言い訳のきかない現実を全身で受け止める孤高の人、無口で律儀というイメージが強い。

 遺作となった「あなたへ」(12年)は、高倉の映画を20作撮った故・降旗康男がメガホンを取った。この映画は数々の映画賞を受賞。その授賞式には高倉の代わりに降旗監督らが出席した。

 高倉は毎日、理髪店に出かけるが、その途中に降旗監督の家がある。「あなたへ」が公開された年の暮れ、監督が家に一人でいると勝手口から声が聞こえた。行ってみると、高倉が立っていた。お酒を手にした高倉が「いろいろ代理で賞を受けてくれてお疲れ様でした」と挨拶して立ち去った。降旗監督に連載してもらった「カチンコの音が聴こえる」(13年)のエピソードだ。

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